エッセイ」カテゴリーアーカイブ

分断と差別はかくして生み出されるのであった

 外に出なくなり、周りが同じような思想のお友達だけになり、多様な意見を言ってくれる人、聞かせてくれる人がいなくなって孤立を深めていくと、自分が正しいと信じて疑わなくなり、思考が凝り固まっていき、自分とは異なる他者に苛つきを覚え、否定するようになる。
 こうして分断や差別が生み出されるのだなぁとしみじみ思いました。外の空気を吸ったり換気するのは人間にとって大切だ。
 必要なのは不安や憎しみではなく、慈愛や寛容。否定しないこと、受け入れようとすること、理解しようとすること、立ち止まって考えること。まして、顔も名前も知らない人ではなく身の回りの人であればなおさら、ね。
 でないとたちまち感情の暗黒面に堕ちてしまう。なんだか歯車がずれてしまった人、多い気がするな。とても残念。

追記
 一般論として意見を言う分にはいいと思います。この考え方や行動は違うと思う。そういうことはしない方がいい、とか。ただ、それをもって家族、知人、友人といった身の回りの大切な人たちを否定するのは違うと思うのです。

おかげで

 「自分のおかげで」ってとんでもなく驕り高ぶった言葉だと思うんですけど、世間一般の人は全くそんな風に思わないんですかね。
 あなたのおかげで、この方のおかげで、みんなのおかげで、と他者に対して使うことは当然ありますが、「自分のおかげでこうなった」なんて生まれてこの方使ったことがないんじゃないかな。
 だって、例えば私がコンサートを企画したとして、終わった後に「僕のおかげで音楽を楽しんでくれる人がいてよかった」って言います? 言わないですよね。絶対言わないよ。だいたい、そもそもそんな考えは浮かばないもの。こんなこと言ってる人がいたら、はぁ? って思うし、お付き合いしたくないですよ。
 こういう言葉を無意識に使う人は、十中八九ヤバい人なんじゃないかなと思うのですが、このように、いちいち言葉を細かく気にする人も十中八九いないんでしょうね。
 私の常識は世間と離れているのだなぁと思ってやみません。

銀行の暗証番号を忘れました

 緊急事態宣言が発令される少し前から本当に外出をしなくなって、外に出るというだけでも1週間のうち2日程度という状態が続いていました。
 電車にも2ヶ月以上乗らず、5月の終わり頃に一度実家に行ったときに久しぶりに乗りました。外食もせず、買い物をするにも基本的に現金は使わないものだから、現金が必要になって銀行のATMに行ったら暗証番号を忘れている始末。必死に思い出して難を逃れましたが、こんな落とし穴があるとは思いもよらず。銀行の暗証番号を忘れるほど外界と謝絶される状態になるなんて考えたこともなかったです。

 緊急事態宣言が出た直後くらいにTwitterで「宣言が終わったから今まで通りに戻してOKなはずがない。緊急事態がひとまず去っただけで、引き続き感染予防に努めなければならない。気を緩めてそれまでの努力が無駄になったら最悪だ。でもそうなりそうな予感がする」ということを書いたのですが、まさに現実になっているように感じています。
 日本人(に限った話ではないと思いますが)は義務にならない限りやらないのだと強く思い知りました。企業も個人も、大義名分が無いと変革は難しいのだと思います。
 近所の立ち飲み屋は緊急事態宣言が終わったらすぐ、ソーシャルディスタンスも何もなく、コロナ前と同じ状態で店内ぎゅうぎゅう詰めで営業しているし、気にする素振りもなく平気な顔でマスクもせずに呑んでいる人ばかり。その店で感染が発生しているいないの問題ではなく、その心構えじゃ感染者が減るわけもない。減る道理が無い。

 緊急事態宣言にしても、新規感染者が2人(それが本当に正しい数値であるかどうかは別として)というところまで行ったのです。0にだって出来たはずなのです。もうあと2~3週間、どうにか踏ん張れば、ひょっとすると封じ込めができたのではないかとずっと思い続けています。思ったところで過ぎたことなのでどうしようもないことですが。
 あとほんの少しというところで緩めてしまった。スポーツでも囲碁でも将棋でも音楽でも何でもそうですが、最後の最後、もう何があっても大丈夫という終わりの瞬間まで気を張っていないと大失敗するなんていうのは常識なのに、どうしてあと一歩(と思われる)のところで手綱を緩めてしまったのか。まずい事態なのに、夜の街が、夜の街がと国民の目を逸しているうちに、あっという間に取り返しがつかない状態になってしまった。
 三国志や信長の野望で言えば、相手国を滅ぼしたけど、捕えた残党を打ち首にせず情けで逃したら勢力を拡大して反撃してきて逆に負けたみたいな状態ですよね。こんなことは歴史を見るに、紀元前からどの国でも常識のはずです。今回は人間とコロナの戦争だと思っています。どうして頭が良くて優秀で偉い人間ばかり集まっている(はずの)国の中枢でこういうあり得ない失敗が起こるのか。本当に残念でなりません。

 第二波だと言われていますが、私は第一波で討ち漏らした残党が盛り返しているだけで、まだ第一波の続きだと思っています。定義を知らないので勝手に言っているだけですが。第二波は海外からの人の流入やらなんやらが始まってからでしょう。
 こんな状態でオリンピックなんて出来るはずがないです。色々なところに配慮しなければいけないのは分かりますが、政治家はいつまで非現実的なばればれの嘘を言い続けるんでしょうね。嘘つきは政治家の始まりなんて言われますが、ここ数年の政治を見ていると本当にそう思います。政治家に、本当に国を思って行動している人間が一割もいるのか疑問です。

 治療薬が開発されるまで、まともな公演が出来ないのは覚悟していますが、これでまた施設が閉鎖だとか言われたら、実演家はとどめを刺されます。廃業するしかなくなる人がどれだけ出てくるか。持続化給付金のような支援策を行わないのであれば、何を言われても必要な感染対策を施したうえで強行でもやっていくしかないですよ。
 まともな仕事についている方々はなんだかんだで生活に大きな影響が無いとは思うのですが、実演家にとっては生きるか死ぬかという本当に受難の時です。

 これでやっていけないなら世の中に不要な仕事だからやめろって? そうですか。

富の再分配は通用しない世の中なのか

 コロナ後に「皆税金を払っているのに一部の人だけ恩恵を受けるのはおかしい」という主張をよく目にするようになった。税金の仕組みに詳しいわけじゃないんだけど、これっておかしくないか。

 税金というのは、皆からある一定のルールで集めて、困っている人たちに厚く使われるものだと思っているんだけど、違うんだろうか。
 全員が同じだけ払って、同じだけ恩恵を受けるのが正しいと考えている人が多いということなのか。それは共産主義と何が違うんだろうか。富の再分配とか考えたことがないんだろうか。

 僕は共産主義がいいとは思わないけども、今の資本主義もいいとは思っていない。人々の間に貧富の差が出来すぎる。世界の富の半分(36億人分)をたった62人の人間が所有している*なんてまともだろうか。努力の差だから頑張った人がたくさん儲けるのは正しいと言う人もいる。が、実のところ、その例の方が少ないのではないかと思う。
 全て一人の努力で手に入った成功なんてものはほとんど幻想で、周りの人の助けがあった、運が良かった、人を騙すような手口を使った、法を犯さない範囲で悪いことをしたという方が多いんじゃないか。

 だからまぁ、人様ありきで儲けた(儲かった)お金を社会に還元するというのは至極真っ当なような気がするんだけど、これは持たざるものの意見なんだろうか。ある程度以上は持ってたって仕方ないんだから、困っている人のために使いたいなと自分は思うんだけどね。そこはやっぱり自分も大金を手にしたら変わるんだろうか。

 以上は最近よく目にする考え方への意見であって、税金を投入した特定の業界への支援や、GoToキャンペーンが正しいとか正しくないというのはまた別の話。

微陽性?

巨人坂本、大城「微陽性」開幕戦は間に合う見込みも
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6361530

偽陽性はあるけど、微陽性なんて言葉、このニュースで初めて聞いたのだが。検索したってこのニュースしか出てこないぞ。
讀賣が事態を誤魔化すために無理やり作った造語なのでは?
何の根拠も無い言葉を作って発表するのってやっていいことなんだろうか。
認識って、こうやって都合よく書き換わっていくものなんだろうか。
ちょっと酷くないかな。