唯一拝見したのは、ドゥダメル&シモン・ボリバルの来日公演なんですよね。確か国際フォーラムAだったと思う。
開演前、真ん中後方くらいに座っていたのですが、視界にチラチラ入ってきてどうしても気になる人がいる。なんで一人の客がこんなに気になるんだろうと思って目を凝らしたら、小澤さんがホールの通路を座席に向かって歩いてたんですね。
うわ、小澤だ! これはドゥダメルじゃなくてアルゲリッチを見に来ただけに違いない! とか思ったのは内緒ですが(実際、アルゲリッチの協奏曲が終わった後の休憩でいなくなった)、嫌でも目を引く人、つまりオーラがあるんだなと思い知りました。あれはなんなんですかね。小澤さんだって分かっていない状況ですでに気になるんですから。髪型か? いや、違うだろうな。
残念ながら、指揮姿は一度も生で拝見できませんでした。小澤さんの棒で演奏した方のお話なら割と聞いているのですが。
魑魅魍魎が跋扈する大変な世界ですから、墓まで持っていった話も数え切れないと思います。とことん腹を割ったラストインタビューとか自伝とかないんでしょうか。とても気になります。
もしもあの世があるなら、カラヤン先生らと一緒に、最近の若いやつらは! などと言いつつ下界の様子を楽しまれることでしょう。
長きにわたり最前線での牽引、本当にお疲れ様でした。ゆっくりおやすみください。
「音楽」カテゴリーアーカイブ
ドラクエ3のオケスコアが発売される
ドラゴンクエスト3のオーケストラスコアが新発売されたとのこと。
https://octavia-shop.com/shopdetail/000000001634/
このスコアを買えば正規譜面を持っている扱いになって、演奏ができるのか!? と思いきや、
*権利者の許諾なく本楽譜を一部でも複写・複製等することは禁じられております。発覚した場合は、法的手段を講じる場合もあります。
という注釈がついています。
スコア1冊のみでは演奏が出来るはずがないので、演奏した=複写・複製してるだろということで、つまり演奏は禁じますという意味なのだろうと考えられます。4のスコアは以前から存在しているのですが、そこからパート譜を起こして演奏する行為は禁止されていたと記憶しています。
なので、スコアはあくまで観賞用、勉強用と考えるのがよいでしょう。
とはいえ、スコアが発売されるということだけでも結構驚きなので、プロアマ問わず自由に演奏できる日が僅かながら近づいたのかなとも感じます。スギヤマ工房さすがです。素敵。
ちなみに、上記注意書きでは複製を強く禁じていますが、私的複製であれば問題ないことは言うまでもありません。
以下、完全に余談ですが、このスコアを購入して演奏する手段を考えてみました。
1. 全員暗譜する
指揮者以外が全員暗譜して演奏すれば法に抵触することはありません。JASRACに申請さえすればOKです。記憶力がよろしい方々なら可能であろうと思われます。できるならね……。
2. スコアを大量購入する
次に、強硬手段として、オケの人数分だけスコアを買って、全員スコアを見ながら演奏すれば法に触れることなくコンサートが開催可能という裏技を思いつきましたが、オケが少なめの50人でも100万円超の出費になりますし、奏者がスコアを使って全曲演奏するのはまず不可能でしょう。だったら譜めくり専用のスタッフをつけるか……? 舞台上に100人前後になるが……。
いずれにしても実現性は無いですね。必要な労力や金銭を考えると、よしやろうとは思えません。が、どうしても演奏したい! というチャレンジャーは敢えてそこを攻めるのも面白いとは思います。こういうアホなことはすぐ頭が回るんですな。
権利者の意向が第一でありますが、音楽という人類の財産を遍く大衆が自由に利用でき、いたるところで演奏されるようになることで、その旋律が誰もの記憶に刻み込まれ、多くの人々がこの名曲の数々を口ずさむようになる日が来るといいなあと思うものであります。それが「クラシック」たるものなのでしょう。やはり、クラシックになるために必要なのは時間なわけですね。
テレビ局に企画をパクられました
日テレの「午前0時の森」という番組で、劇団ひとりさんが持ち込んだネタ(という体ですが、企画はスタッフでしょう)で「指揮者が違うと音楽はどれだけ変わるのか」という企画をやっておりました。
午前0時の森
https://www.ntv.co.jp/mori/
これ、私が企画して撮影、公開した動画と全く同じなんですよ。それも、使った音楽が「ハンガリー舞曲 第5番」という点まで同じ。
これはもうパクられたと言って間違いない! そう思いませんかお客さん!!!
ふと思い出した
一夜明けて思い出したのですが、東京オリンピックが決まった後、開会式でゲーム音楽をオーケストラで演奏するという目標を打ち立てていたんですよね。
自分ではできなかったけど、実現したんだなぁと。その時から実現性は十分にあると思っていました。
そんなことを大真面目に考えていた人間は、世界中のどこを探しても私以外にはいないのではないでしょうか。
先見の明がありすぎるだろと言っていただきたいですね。
もはや恨みつらみは無いけれど、もしあの時、僅かばかりの目先の利益にとらわれず、音楽家たちが未来を見据えて一枚岩となり、分裂など起こっていなければ、もしかしたら自分たちがあの場にいたのではないかというところまであったくらいのムーヴメントにできた可能性はあったと思うので、本当にもったいない出来事だったなと今でも思います。
あの時、金が大切だと言って如何様師についていった大多数の音楽家たちは、今、一体何を思っているのだろうか。なにも思ってないか。
五輪開会式続報
ただいま入場セレモニー中ですが、取り急ぎ。
開会式の演出の一貫として、日本のゲームカルチャーは世界一イイイィィ!!! みたいに使われるのであれば、なんだか嫌だなぁと思っていたのですが、「入場のBGMとして」というのは、まさにBGMであるゲーム音楽の使われ方としてのあるべき姿であり、主張しすぎもせず、かといって適当にあしらわれたようなポジションでもなく、最高の使われ方なのではと思いました。ドラクエは国歌だのなんだのというノリは嫌いです。
ゲーム音楽に興味がない人はどう捉えたんでしょうね。気になります。
とにかく悪い予感が的中せず、良かったです。プラカードが漫画の吹き出しなのも、いいね!
五輪開会式にゲーム音楽?
五輪の開会式にゲーム音楽が多数使われているという噂。
本当だとしたら、国際的な舞台を飾る演出としては適切でないと感じるので、やめてほしいです。
ゲーム=日本の文化という図式は分からなくないけれど、日本のゲーム音楽が世界的に市民権を得ているなんてことはありません。
海外のゲームファン以外の人達が一聴して、ああこの曲は知っていると通用するのはマリオのテーマくらいでしょう。(これは以前からの持論)
国内ではマリオと双璧をなす知名度のドラクエの序曲ですら、果たして海外ではどれだけの人が知っているのか。さらには(どのゲームかは不明ですが)勝利のファンファーレを使う(らしいという情報)なんて、常軌を逸していると感じてしまいます。
前首相がやったマリオの演出。その是非は別として、あれが限界でしょう。
演出方法にもよるでしょうから、絶対に駄目だと断言はできませんが、ゲームが好きだからこそ、見ているこちらが恥ずかしくなってしまいそうな予感がしてなりません。嫌だなぁ。
<7/23追記>
結果はこちら。
https://blog.185usk.com/2021/07/post-273503.html
身分によって楽器店の態度が変わるのは事実です
私がずっと前に体験したことを裏付けるトゥイートが流れてきたのでメモ。
これは事実です。
私が神奈川フィルのオーディション予選を通過して、本選に進んだとき、オーディションで必要なスコアを買いに、ある有名店に行ったのですが、オーディションのためですと伝えた途端、態度が変わり、扱いが丁重になり、名刺までくれました。(念の為言っておきますが、自分から言ったんじゃないですよ。訊かれたので答えただけです)
そんな経験はその時だけでしたね。やはりクラシックのプロオケというのは格が違うのでしょう。名だたるプロオケを振っていない指揮者は一般人という扱いなんだと思います。といっても、それ以降、身分を訊かれたことも名乗ったことも無いんですけどね。オーラも無いし。
で、それに対してオーボエの茂木さんが、そんなことないと思うという返信をしているのですが、それは若い頃から運良くプロオケに受かって、そうではない人が体験しているような、いらぬ苦労をしたことが無い人の意見でしょうね。
現代日本では、何をする人なのか、何が出来る人なのかよりも、どういう身分の人なのかの方が重要視されるのです。これは動かしがたい事実なので、さぁこれからという若い人たちはそんな理不尽な経験をしても、気にせず負けずに頑張ってもらいたいです。
指揮者というものに対する理解
YouTubeのおすすめで出てきて、タイトルが気になったのでつい見てしまったのですが、見なければよかった。
続きを読むハイドンの40番
メールに、
ハイドン/交響曲40番「ロンドン」
と書いていて、送信前に見直しているときにおかしいぞと気づきました。
正しくは、
ハイドン/交響曲第104番「ロンドン」
であって、番号が全然違う。
なんで40番なんて書いたんだろうと考えてみると、恐らく、ハイドンが最後に書いた交響曲という意識がまずあって、4がついてたぞとなり、そこから時代が近いモーツァルトに意識が飛んで、しかも最後の交響曲は41番なのに40番と間違えたという経緯だと思われます。
私の頭の中はもうめちゃくちゃです。
緊急事態宣言下でのコンサート開催の記録と舞台業界への支援の無さ
緊急事態宣言が出されるかどうかの瀬戸際でこんな記事を書いたわけですが、
二度目の緊急事態宣言が出ると舞台関連は相当やばいかもしれない | 亮曰く (185usk.com)
その後、緊急事態宣言が発出され、さらに延長となりました。
発出時点で、イヴェントについては収容を5,000人、もしくは50%までを上限として公演を開催して問題ないということで、壊滅的な打撃は避けられるのかなと思ったのですが、これが意外とそうでもありませんでした。
結局、自治体毎の判断により、利用中止や閉館となる施設があり、また緊急事態宣言下であるということで、自主的に中止となる仕事があったりで、私は結局2月は無職となりました。これで1度目の緊急事態宣言時と合わせて7ヶ月半無職です。無職を免れた期間も仕事が1/5程度に減少しており、ここ1年間、まともに稼働出来ているとは到底言えません。
7ヶ月半もの期間、働けるのに仕事が無いって信じられますか? それも、行政の下した判断によってです。お金の問題もさる事ながら、音楽が出来ないという辛さ。こと指揮自体に関しては、楽器と違って家で練習出来るものではない(と私は思っています)ので、振らなければ腕がなまっていってしまう、勘が鈍っていってしまうという恐怖と戦わねばなりません。
現在、飲食業には1日6万円もの支援が行われています。ですが、舞台業界には何の支援も行われていません。これは、決まりを守ればイヴェントを開催してよいとしているからという理屈なのだと思います。強制すれば保障が必要だが、そうでなければ必要ないという理論なのでしょう。
ですが、国が強制していなくても、仕事場の利用停止を実質強制され、仕事を失っているという側面は表沙汰になっていません。
さらに、緊急事態宣言が発出されることにより、外出を控えるという人が増えるのは当然で、であればコンサートを開催しても客足は見込めない。だったらやめようと考える主催者がいるのも当然です。また、主催者としても緊急事態宣言下でコンサートをやるのは感染拡大防止の観点から控えようという考えになることも当然あります。