ちょいとしたきっかけで歌舞伎を見るようになったのが7月の末頃。それから1ヶ月で結構見ました。歌舞伎を見ずして舞台芸術を語るなかれくらいの衝撃を受けており(大袈裟ではないと思います)、今後の人生において長く付き合っていくものとなりそうです。いつか何かで舞台を共に出来る日が来るよう、精進したいです。記憶力が悪いので、何を見たか覚えておくために書き連ねておこうと思います。
月別アーカイブ: 2016年8月
ここがヘンだよJASRAC
最初にお断りしておきますが、私はJASRACについては好きでも嫌いでもなく、著作権を管理している団体であり、音楽を生業とするからには付き合いは不可欠であるという認識以上のものはございません。
JASRACと言いますと、その名前が出ただけで悪の権化のように言われ、著作権ヤクザですとか、カスラックなどと罵られることが多々あるわけですが、それは多分に認識不足ですとか、自分で調べたりすることもなく、ネットで多く見られる意見を見て何となく知った気になっていたり、勝手に思い込んでいるだけということが多いかと思われます。
横浜地方裁判所の地裁カレー
横浜地裁に行った際、地下にある食堂に立ち寄ったところ、地裁カレーなるものを発見した。
世界一カレーが好きな指揮者であると言われている私としては、この変わり種カレーを食べてみたい衝動に駆られるのは当然であった。なにせ地裁カレーである。インパクトがすごい。地裁カレー。
地裁カレーとは一体何なのか。こちらが地裁カレーだ。
他人を音楽ではなく言葉で操ろうとする音楽家
オケやらなんやらの本番直後に「あなたはとても努力してますね」とか適当に褒めて、他人からの支持を稼ごうとするのは簡単なんですよ。それは指揮者をやっていれば誰でも一度は駆られるであろう誘惑なんです。でもそれって違うなと常々思っています。逆に、プロ活動をしていてそれを言われたなら、アマチュア扱いされていると思った方がいいのではないでしょうか。
私が望んでいるのは魂のぶつかりあいであって、音楽をやっている場で分かりあう。そういうことのつもりです。お互いに音楽をやっている瞬間に分かりあえれば言葉で伝える必要なんて何もない。そう思います。分かりあっていなかったり、心にも思っていないから、わざわざ終わった後にどうでもいい褒め言葉を繕って伝えなければならない。かなり低レヴェルではないかという気がします。そんなのは誰にでもできますし、同じ舞台に乗った人を無差別に褒めてれば、自分を好きになってくれる人がいるから楽でしょう。それで自分を支持してくれる人が増えるんだから、そりゃあ楽ですよね。それどころか、心にも無いことを言って自分を支持してくれる人を増やそうなんて意識が見えるのは最低なことのように思います。繰り返しますが、それは簡単です。でも僕はそれをやらない。というか、出来ない。そんなのは本当の人間関係ではないと思うし、心が拒否するから。
もちろん、本当に心から良かったと思ったらすぐに伝えます。それは本心だから。そこで嘘はつきません。ですが、そういう言葉を簡単に発する人、かつ広く発信してくれるであろう人に対してそういうことを敢えて言って、自分の評価や美談にしようとする人は、ほぼ偽物だと考えています。音楽だけでは話にならないから、音楽ではなく、言葉のまやかしで生きている。
そして、そういうトリックに気づかず、舞い上がってしまう人。その人の信者になってしまう人。残念ながらそういう人が世の中ほとんどだということも承知しています。そういう人を上手く焚きつければ、自分の立場も上がっていく。例え嘘でも人に好かれて、信者が出来て、それで活動の場が広がって、そうして成り立っていく。仕事になっていく。それが現代の正しいステップアップの仕方。他人の感情を食い物にして自分がのし上がっていく。まさにビジネスだと思います。でもそれは、不器用と言われても私には出来かねる。本音と本音でぶつかって、音楽の中で分かりあう。分かりあえなければそれまで。それ以外に求めている事はありません。
褒められて舞い上がるなんて、新しいことが出来て褒められて喜ぶ子供と同じ。自分と向き合い、自分の納得のいく音楽が出来たか否か。満足のいく演奏ができたかどうか。それが全てで、そんなのは人に言われてどうこうではないはず。外からの評価は自分ではなく他人が決めること。ちょっといい言葉で褒められて舞い上がるなんて、音楽家が乗り越えるべきハードルの最も初期の段階ではないかと思ってなりません。
褒められて嬉しいというのは否定しません。そりゃあ誰だって気分のいいものですから。でも、それを乗り越え、その先に進まなければ嘘でしょう。そこでどうのこうの言って舞い上がっている時点で、私とは歩む先、見ているところがまるで違うのだなと思ってやみません。