編曲権について誤った認識が拡散されてしまう事案が発生

 インターネッツの世界、いや、世の中を生きていくための基本として、「知らないことは言わない」というものがあると思っておるのですが、どうも「知ってるつもり」で無双している気になってしまっている人というのも定期的に目にいたします。

 私もやりかねませんので気をつけねばならないのですが、上で言っているのは、事実を連ねることや、感想を述べることとは別次元の話なのですね。

 例えばですね、ベートーヴェンの交響曲第5番が話題になったとしましょう。この曲につけられている「運命」という副題は、あくまで通称、俗称のレベルであって、ベートーヴェン自身が付けたものではないというのは歴史的に明らかになっております。そのような時に、

1. この曲はベートーヴェンが運命と名づけたらしい! どこどこのブログに書いてあった!
2. この曲が運命と呼ばれているのも分かる気がするンゴねぇ……。
3. この曲を運命とベートーヴェンが名付けたことなんて常識だろw

 アウトはどれでしょう。はい、3ですね。

 いいんです、人間ですから、知らないことや間違えることはあるでしょう。問題は、間違っていることを堂々と、常識だろそれというような態度で言ってしまうことなのです。

 前置きはこれくらいにいたしまして、なんでこんなことを書いているのかというと、演奏にまつわる諸権利のうち、「編曲」についての認識をされておらず、間違った知識を披露し、ああそうなんだと思った読み手に拡散されるという事象を目にしたためなのですね。

 問題はこちらです。

 大事だからもう一回言うけど、という辺りにこの上ない自信と自負を感じますが、残念ながら、こちらは全く大事ではなく、誤った情報でありますので、なぜ開けると思ったのか傍から見ても謎です。

 大事だからもう一回言うけど、当ブログでも何度か取り上げておりますように、いくらJASRACで全信託になっていても、編曲、つまり同一性保持に関する権利について、JASRACは一切管理を行っておりません。管理していないから書いていない。それだけの話です。さらに言いますと、JASRACで手続きをしますと、あくまで演奏権や出版権の許諾であり、編曲をする場合は権利者の承諾が必要だという申し訳程度の一文が送られてきます。

 発言された方はなんらかの音楽団体の制作企画をされているようなのですが、ご存知なかったのでしょうか。傍から見て謎です。

 これで明らかになるのは、今回の問題の趣旨を理解しないまま、あれこれと考察されてしまっているということでして、そう考えますとなかなか残念な感じになってきます。

 できません。できないから大きな問題に発展したのです。演奏権だけでなく、編曲権の許可も取らねばなりません。作曲者が全権利を掌握していないケースは多いです。というかほとんどです。

 大事だからもう一回言うけど、できません。「正規の楽譜が出版されているなら」という条件付きでなら、正しいです。当ブログでも取り上げましたように、「勝手に編曲をして演奏しようとした」ことが問題の発端であるというのが現時点での通説です。

 権利的にできるのが当然と主張しながら、権利処理が稚拙だったのだろうというのは矛盾だと思われます。どの権利処理がどう稚拙だったのか分かって発言されているのか、傍から見て謎です。

 残念ながら、代表者は管弦楽畑の方ではありません。いわゆるポップス方面の方で、相当なプロデュース学を学んでいる「はず」です。だとしたら、なおさらおかしいお話になりますね。

 この辺りもものすごい事実誤認なんですよね。知らないのは仕方がないのですが、全てのケースが自分の認識に当てはまるということはないです。

 とまぁ、まだ他の発言もあるのですが、全体的に眺めてみますと、「皆が怒ってることを冷静に分析できて、世論と逆のことを鋭く言える、自分をしっかり持っている方」という印象でありました。これが事実誤認でなければよかったのですが。

 大事だからもう一回言うけど、事実誤認からスタートしている考察です。事情を知らずに、「そうか、お金払ったのに演奏できなかった方が可哀想なのか」といった誤った知識が拡散されるのは悲劇以外の何ものでもないでしょう。

 勢い余ってリプライしようと思ったのですが、こういうことを指摘すると「クソリプだ!」と言われる世界になってしまっておりますので、誰も見ていないブログにひっそりとしたためた次第です。どうか正しい知識が多くの方に広まることを願うばかりであります。

 今日もクソブログをご覧いただきありがとうございます。熱中症に気をつけておすごしください。