10年目の区切りというけれど

 一昨年、去年と書いていなかったようです。
 去年は緊急事態宣言中でずっと家に引き篭もっていた時期ですね。NHKを見ながら黙祷をしていました。多分、書く気力が無かったのだと思います。一昨年はなんなんだろう。

 今でも、あの日の数ヶ月後に訪れた陸前高田の光景は今でも眼前に思い出すことが出来ます。

3.11あれから3年
https://blog.185usk.com/2014/03/post-33553.html

あれから4年
https://blog.185usk.com/2015/03/post-551579.html

あれから5年
https://blog.185usk.com/2016/03/post-511961.html

あれから7年
https://blog.185usk.com/2018/03/post-092491.html

 ここ数日、世間では「10年目の区切り」という言葉を散見しますが、なぜ10年経つと区切りになるのか、私にはよく分からないのです。時間なんて、人間が勝手に決めた尺度でしかないでしょう。
 区切ったからなんなのか。明日からは別の日になるのか。急に被災地が復興するのか。そもそも時間を区切ることなど出来るのか。2021年3月11日23時59分と、2021年3月12日0時では別世界にでもなるのか。私は周年という考え方にはあまり興味がない方なので、どうしてもそう思ってしまいます。
 今日と明日は大して変わりません。今日困っている人は大抵明日も困っています。それを打破するには、大して変わらない毎日を積み重ね、少しずつ変化させていくしかないはずです。
 生きている限り、明日は必ずやってきます。勤勉であろうと怠惰であろうと、何か少しでも明日に繋がることをしながら、ひたすら毎日を無駄にしないように生きていくしかないと思っています。今日は特別、明日は特別じゃないなんてことは決して無いと思うのです。

 この写真は私が10年前の8月に陸前高田を訪れた時に撮ったものです。多分、今まで一度も公開していなかった気がします。恐らくショックが大きすぎたせいか、5枚しか撮っていませんでした。ここに街があったなんて誰も信じないでしょう。

「10年の区切り」なんて決めてしまうと、10年経ったんだからもういいよ、しつこい、いい加減にしてくれと思う人も必ず出てきます。きっとそうやって、悲惨な戦争も忘れられていき、いつまで昔のことを言っているんだという風潮になり、同じ過ちを繰り返していくのでしょう。
 確かに、いつまでも過去に囚われたり、執着するのはよくないことです。人間は忘れる生き物であって、忘れることで生きていけるのです。でも忘れられないことや、忘れてはいけないことも中にはあると思います。それに、まだ忘れてはいけないと強く思います。忘れるには早すぎます。
 震災の被害は現在進行系で癒えていないのです。10年経つ今でも仮設住宅にお住まいの方もいらっしゃいます。忘れていいのは、全ての人が日常に還り、平穏な心を取り戻せたときでしょう。それこそが真の復興であると思います。そのために、国には全力を尽くしてもらいたい。私も自分に出来ることがあるならしていきたい。
 でも、例え物質的な復興が果たされたとしても、大切な人を亡くした人はずっとあの日を想い続けるはずです。だから、やっぱり忘れられることはないのでしょう。親から子へ、子から孫へ、語り継がれていき、そうして歴史になっていくのでしょう。

 10年と2日目である明日は何事もなく来るし、その後もずっと何事もなく続いていきます。
 だから、今日だけ、ではなく、生きている限り一人ひとりが忘れずに、想い続けることが大切であると思っています。