人は見かけによらないという言葉の本当の意味

 人は見かけによらないから見た目で決めつけちゃダメですよ。

 そう諭された経験のある方は多いのではないだろうか。だがちょっと待ってほしい。本当に人は見かけによらないのだろうか。

 私は、「人は見かけによらない」というのは、「人は外見とは違うので、見た目で決めつけてはならない」ではなく、「ほとんどの人が見かけによるが、稀にそうではない人がいるから決めつけてはならない」という意味であると思っている。最終的に言っていることは同じなのであるが、その意味はまるで違う。そもそも世の中の人間の過半数が見かけによらず、それが当たり前なら、こんな言葉は不要なのである。

 結論としては、人は見かけによる。その性格のほとんどは顔に出てくる。顔というのは、その人の人生そのものの現れであると思っている。本質が最も現れるのが顔だ。いくら高級な被服やアクセサリで着飾っても、そこはごまかせない(最近は高度な化粧や整形という手段もあるようだが)。だから私のような人生を送っていると、どんどんと捻くれた性格の悪そうな惨たらしい容貌になる。昔から酷かったというのは置いておこう。

 これは良し悪しの話ではない。容貌が美しいだ醜悪だなどというのは時代によって、国によって基準が違うし、各々の主観にしかすぎない。外見の話であれば「関東一可愛い高校生グランプリ」などと言われても、私には微塵も美しいとは思えないのだから、そんなものだろう。顔立ちの美醜については、たかだか皮の張り方やパーツの位置がほんの少しずつ違うだけなのだ。私が言っているのは主に内面の話である。いい生き方をしている人は「いい顔」になる。私は「いい顔」は大好きなのである。ふと自分の周りを見るといい顔の人たちばかりで、いつも自分だけが嫌になるが、諦めている。

 人の顔を見ると、こんな性格でこんな声をしていて、こういう話し方をするということまではほとんど分かる。街ですれ違った人を見ても想像が出来る。これは過去に呑みの席などで話題に出た際に共感する人もいたので、私だけの特殊能力というわけではないはずだ。

 もっと言うと、この人とは上手くやれそうだ、もしくは仲良くなれそうにもないということまで分かる。それは最初から見た目で決めつけてるからじゃないかと言われそうだが、そうではない。顔を見てある程度の予想はしてしまうが、その印象は一旦リセットし、最終的にはあくまで実際の言動で判断している(つもりだ)。本当にできているかどうかは別にして。だから当然「人は見かけによらない」も経験している。

 私自身は見た目とあまり一致しないタイプのようで、ネットなどで見ているが実際に会うのは初めての人に「もっと大柄で怖い人なのかと思ってました」と言われることが経験上多い。大柄どころか小柄だし、怖いどころかコミュ障でアルコールが入らないと人とまともに話せないような、リア充の対極にいるような残念な人間である。まぁネットで写真や動画を見た印象と、実際に会った印象では異なるのもやむなしではあろう。

 いずれにせよ、外見で決めつけて人と接すると間違えてしまうことがあるという結論は同じなのだが、本当の意味は以上のようなことなのではないかと思った次第である。いい顔の老人になれればいいなと思っているが、私には難しそうである。

 ヴォルデモートみたいな顔になって、若者に「お辞儀をするのだ!」とか言ってる老人になりそうな予感しかしない。