TAR / ター

 ベルリン・フィルのシェフに選ばれた女性指揮者の話ということ以外、予備知識無しで鑑賞。結果、一回の鑑賞では全てを理解することが難しい映画だった。

 入念に取材し、オーケストラ、クラシック音楽、指揮者というものを深く書き込んでいたのは間違いない。特にオーケストラの演奏シーンのディテールは過去に見た映画の中で最高だったように思う。舞台袖の雰囲気なんかも、そのまんま。音楽映画(ドラマ)は粗が見えてしまう作品がほとんどなのだが、全く粗が見えなかった。
 主演のケイト・ブランシェットもちゃんと指揮者に見えた。こういう指揮者、いるよねと。実にリアルだ。リハの場面も生々しかった。ちゃんと指揮者に見えたどころか、こういう指揮者がベルリン・フィルにいてもおかしくないとすら思えた。指揮の演技をする役者が指揮者に見えたのは初めてかもしれない。
 オケも指揮者もまさしく現実と同じといって差し支えない。これはすごい。それだけでも一見の価値ありだろう。クラシック音楽好きなら十分に楽しめると思う。逆に、クラシックのことを知らない人は、何を言っているのかさっぱり分からない部分も多いと思われる。
 検索して上位に出てきたレビューをざっと見てみたが、クラシックのことを知らない映画通は「ベルリン・オーケストラ」だとか「世界最高のウィーンの音楽会」だとか、いい加減なことばかり書いていた。

 だが、実はこの映画の本質はそこではない。音楽映画ではなかった。そこを間違わないようにしたい。

 サイコスリラーという紹介もされているようだが、それもいまいちピンとこない。とにかく監督の意図に翻弄されっぱなしの158分。158分という近年では長めの上映時間だが、長いとは感じなかった。ほとんどが会話シーンなのに。上質なドラマが描けているという証拠なのではないだろうか。

 ここまで丁寧にオケを描けている映画はそうそう無いので、有名な日本人指揮者にプロモーションをしてもらえばもっと話題になるのではと思った。少なくとも私はそういうプロモーションは見ていない。もったいないな。クラシックのことを知らないタレントでは説得力のある宣伝はできないのでは。

―――――以下ネタバレあり―――――

 一体どこまでが現実で、どこからが虚構なのか。境目が曖昧なのだが、恐らく答えは明かされないのだろう。ホラー的な演出(とはいってもジャンプスケアは無いので安心してほしい)が都度挟まれるのだが、オルガを追って廃墟に行ったあたりから俄然怪しくなっていく。主人公が完全に精神の均衡を失ったのがこのあたりなのだろうか。廃墟で犬のような、モンスターのような生き物が一瞬見えたような……。

 実在人物の名前がところどころで出てくるのも現実と虚構の境目を曖昧にしている。が、その内容が、名誉毀損などで訴えられないのだろうか……と心配になってしまった。
「レヴァインとデュトワは性的虐待で地位を失った」と登場人物が発言したり、「マイケル・ティルソン・トーマスの曲の解釈はクソだ」と主人公が悪態をつく場面とか……。この辺も、クラシックを知らない人からしたら、実在の人物のことを言っているとは気づけないところだろう。
 例え事実であっても、存命人物のスキャンダルや悪口を映画に出して大丈夫なんだろうか。MTTについては事前に許可を得ているのかもしれないが……。

 一転、レニーは完全に贔屓しており、完全無欠の世界一の指揮者のように扱われている。(否定しないけど)
 主人公の心の師はバーンスタインであり、ジャケット撮影の場面から思うに憧れはアッバード。そんな感じ。というか、あんなパクり丸出しの寒いジャケットを、セルフブランディングが上手いTARが撮影するのはあり得ないようにも思ったが……。

 レニーを心の師と書いたのには理由があって、劇中でコロナに言及していて、コロナがようやく明けたということで、舞台は完全に現代。2021年から2022年だと思われる。
 主人公のTARの年齢は明かされていない(と思う)が、40代半ばから50代前半くらいを想定しているのではないかと感じた。
 バーンスタインは1990年に没してる。TARが2022年に50歳だとして、32年前。28歳の頃に亡くなっているわけだ。20代前半から死去あたりまで師事したのならあり得ない話ではないが、彼女ならレニーと一緒に写っている写真を持っているのではという疑問がある。ところが思い出として出てくるのは思い出話とYPC(ヤング・ピープルズ・コンサート)を録画したビデオ映像だけ。(勝手に合成写真を作るわけにもいかないという制作上の理由かもしれないが)
 本当に師事したのか? のし上がるための経歴詐称なのでは? という疑問が浮かんだ。まぁこれは考え過ぎか。

 他に、あるレビューサイトには、マーラーの5番に乱入する場面で、TARが指揮をするのかと思わせておいて……というのがすごい。というものがあったが、オケを知っていれば、というかそこまで話をしっかり見ていれば、それはあり得ないと分かるはず。トランペットのバンダが冒頭部分を吹き始めているのに指揮者が舞台袖にいて、途中で指揮台に上がることなんてあり得ないのだし、TARは冒頭で指揮者が全て(時間)を支配するという旨の発言をしている。であれば、TARが何の合図も出していないのにトランペットが吹き始めるのはおかしいと分かるはずだ。オケを知っているか、映画をちゃんと見ていれば、ああこれは別の指揮者が振っているんだ、TARは降ろされたのだと瞬時に分かると思うが。

 あとは最後のシーンの解釈が問題だ。これは二通りに解釈できると思う。

 まさかの「モンスターハンター」の映像と楽曲が最後の最後に出てくるわけだが、「TARの再生」を意図しているのか「TARのどん底」を意図しているのか、果たしてどちらなのか。

 前者であれば、レニーのYPCの映像を見直して、初心に立ち返り、一からやり直そうと決意したTARはここから再生していくのだというハッピーエンドに見える。

 後者であれば、TARはアジアの片隅で、全員コスプレをしてコンサートに来るオタク相手にゲーム音楽を指揮する以外仕事がない地の底に落ちたのだというバッドエンドに見える。

 自社IPを悪い意味で使うことにカプコンが許諾を出すとは思えないという現実的な観点を加味すると、前者なのだろうと思うが、それはそれで、ゲーム音楽はキャリアの無い指揮者、失敗した指揮者が振らせてもらえる程度のものという印象もあるので、どうなのだろうという気がする。
 その他、ゲーム音楽は新曲が生み出され続けている最新のオーケストラ音楽でもあるため、現代の最先端の現場で生きていくという意味にも取れるし、過去のクラシック音楽業界での失敗とは切り離された自由な新天地という見方もできる。

 前向きに捉えた方がいいと思うが、結論は出ない。もしかすると、全部TARの夢幻、幻覚なのかもしれない。