かっこいい祝辞

 久しぶりに、これはまともな人だ、頭がいいと思えるスピーチを目にしました。

「がんばっても報われない社会が待っている」東大の入学式で語られたこと【全文】
https://www.buzzfeed.com/jp/saoriibuki/tokyo-uni

 バズフィードは好きじゃないのであまり紹介したくないのですが、他にソースが見当たらなかったのだから仕方ない。

 全体を通して熱く、また主張の違いがあろうともすんなり読み、受け入れることが出来る名文だと思います。

 頑張っても報われないのあたりは生きていれば当然思い知ることですし、早い人は小さい頃に既に味わっていることもあるだろうと思います。

 この中では、フェミニズムの件がとてもしっくり来ました。

女性学を生んだのはフェミニズムという女性運動ですが、フェミニズムはけっして女も男のようにふるまいたいとか、弱者が強者になりたいという思想ではありません。フェミニズムは弱者が弱者のままで尊重されることを求める思想です。

 これです。

 今、ネットで声高に叫ばれている男女同権論、差別論は「男と女を同じにすること」「弱者を強者にすること」が主眼に掲げられている気がしてなりません。そこが間違いの元なのです。

 私はずっと主張しているのですが、男女は根本的に違うのだから、その違いを受け入れ、それぞれ生きていくべきだし、そのうえで不当な差別が発生せず、公平に生きていける社会にするべきだと思っています。同じにするなど無理に決まっています。それが何故分からないのだろう、何故そこに異常に拘り、攻撃的な言論ばかりが飛び交うのだろうと疑問でなりません。もちろん、一部のおかしな人間が目立っているだけということもあろうとは思いますが、深く考えもせず、そういう人間の尻馬にのって低俗な論説を撒き散らす手伝いをするのも同罪です。

 例えば、私の体格ではどう頑張ったってNBAでトップ選手にはなれないんですね。これはもう生まれ持ったものだから仕方がない。それは差別ですか? どうしようもないことでしょう。でも、それを体格による差別だと言って批難し、過激な論調を撒き散らしているのが今のネットの流暢であるように感じます。

 そうではないでしょう。自分に適した生き方を見つけ、後悔ない人生を送っていくことが重要なのであって、差別をなくせ、全てを同じにせよなどというのは見当違いも甚だしいと思うわけです。

 本ブログのコメント欄にも、過去にネットに毒されたらしき哀れな差別論者が湧いて出ましたが、そういった不当な差別には断固として反対し、自らに関わる場合は徹底して戦う所存です。

 話を戻しますと、平等と公平の違いを分からず、履き違えてしまっている人が多いのでしょうね。