せちぶんである。
せつぶんではない。せちぶんである。
節分といえば豆まき。鬼は外、福は内の号令と共に、ありったけの力で鬼となった者に豆をぶつける。豆が目にぶつかって失明しても已む無し。それを回避するために鬼のお面をする。リスクマネジメント超大事。まいた豆は拾って食う。どれだけ汚くても食う。ホコリまみれでも食う。歳の数だけ食う。でも結局ありったけ食べちゃう。イワシも食べる。それが正しい節分の在り方。
しかし、ここ10年くらいのうちに恵方巻きなどという謎の儀式が蔓延しだしている。これは何事か。テレビで紹介し始めるまで聞いたこともなかった。恵方巻きといいつつ、実際は単なる太巻き。しかも恵方を向いて、一本無言で食べきらなければならない。今年は東北東。食卓に何人いようとも全員同じ方向を向いて無言で太巻きを食べ続ける。おかげで食卓は殺伐とした異様な空間になる。全員お互いの顔を見ず黙々と太巻きを食す。顔を合わせないから喋らない。喋らないから笑顔にもならない。沈黙と無表情の世界。怖い。超怖い。しかも恵方巻きは意外と量が多い。一本食べたらお腹いっぱい。その後にイワシと豆を食べるとかありえない。カロリーオーバーで太る。新年会で太った体に追い打ち。だから恵方巻きはダメだ。食品業界が仕掛けた巧妙なマーケティングにすぎない。恵方巻きを節分の文化にしてはいけない。全力で阻止すべきだ。ここまで異論のある者はいないと思う。恵方巻き撲滅に向けて共に頑張ろう。
ところで聞いてくれ、今日の夕食はなんとなく食べたかったので太巻きにした。特に意味はないのだが、なんとなくそう思ったので、東北東の方を向いて食べた。そして食べ終わるまで一言も発しなかった。単に喋ることがなかっただけだ。太巻きなど普段食べないので美味しかった。たまには太巻きも良いものだと思った。とはいえ年に一度くらいでいいから、来年も2月3日くらいに食べるかもしれない。太巻きを食べたあと、イワシを食べて、豆をまいて歳の数だけ食べた。節分だからね。
日本の文化って、いいものですね。