大人が悪い

 例えば電車の中で騒ぐ子供やモノを食べる人たち。

 若い人や子供のマナーが悪いと言われて久しいですが、最近、考えさせられることがあります。そういった社会の乱れは子供が悪いのではなく、大人の責任だと思います。
 
 去年野球を見に行ったときのこと。
 試合前に選手がスタンドに向かってボールを投げ入れるサービスがあります。野球少年らはボール欲しさに、客席でボールを追いかけるのですが、私が座っていた席の近くにも少年が来ていて、ボールを追いかけながら私の足を思い切り蹴飛ばして行ったんですね。そのときに、足元に置いていた私の荷物も蹴飛ばして倒していったものですから、席に戻ろうと引き返してきたときに、
「ちょっとキミ、蹴飛ばしたから直してくれる?」
 と注意したら、
「ご、ごめんなさい!」
 と散らばった荷物を丁寧に拾ってくれました。
 拾ってもらうことが目的ではなくて、悪い事をしたんだと自覚してもらうことが目的だったので、拾っている途中で、
「もういいよ。ありがとう」
と言ったところ、もう一度
「ごめんなさい」
 とお辞儀をして去っていったので、根はいい子なんだなと思いました。

 一昨日、電車に乗っていたら、混雑の中、塾帰りらしい子供が3~4人で車内を走り回って喚いていました。うるさいなぁと思いつつも、それくらいならまだいいかと見過ごしていたのですが、あろうことか手に持ったペットボトルを車内に投げ捨て、電車を降りようとするではないですか。
 さすがに許せることではなかったので、
「ちょっとちょっと待ちなさい! ゴミ捨てちゃダメでしょ。ちゃんと拾いなさい」
 と言ったら、素直に拾って降りていきました。
 周りにはいい年した大人がたくさんいましたが、誰一人として関わろうとはしませんでした。

 しかし、今の世の中は、私のした行為こそが「恥ずかしい」ことであり「空気が読めない」なわけですね。「空気を読む」という風潮こそが色々なものをダメにしている元凶である気がしてならないのです。

 大人が制止しないということは、子供にしてみれば「やっていいこと」という認識で当然だと思います。親も大人も怒らないから電車で弁当を食べていいとか、路上にゴミを捨てていいとか、そういう人間が育つのは当然です。

 例えその子が「変な人に怒られた!」と思ったとしても、それでいいと思うんです。怒られるからしてはいけないんだと学習するんです。

 この人に注意したら刺されるかも……。と躊躇してしまう歳になったらもう手遅れです。そういうのはもう放っておくしかないと思います。そうなる前、子供のうちに、きっちり善し悪しを教えるべきで、それが「しつけ」のはずです。

 まず親のしつけがありきなのは当然。しかしその場に親がいないときには周りの大人が子供の規範になるべきだと思います。
 大人が、ダメなことはダメだときっちり言えるような社会になれば、少しずつでもいい世の中になっていくと思うんですけどね。

 世にはびこる「無関心」と「見て見ぬ振り」。これは大人の罪だと思いました。子供にとって大人って、恐い存在であるべきだなと。

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