高嶋家の教育方針の件、炎上しているようですが、ゲーム機を破壊した云々ということ自体は、他人様の家の内情の話ですので、実情を知りようがない私は何も言う気はないです。
子供がどう感じているかなど、ネットで一方的に入ってくる情報では分かりようもなく、もし本当に度が過ぎていて子供が虐待されているような状態なのであれば、周囲がフォローしたりということになるのではないでしょうか。分かりませんが。
ゲーム機の破壊ということ自体については、時代が時代なら大した問題にはなっていないようにも思いますが、現代において武勇伝のように語ってしまうのは飢えた人々の格好の餌であり、炎上待ったなしという感じはいたします。しかし彼女は周囲の雑音は特に気にしていないのではないかという気もします。何せ彼女の人生には関係のないものですから。
それよりも、こういった事案が発生するたびに、多人数で断罪して謝罪に追い込んだりしようというネットの風潮の方が私は余程怖いなと思うわけでして、それぞれが何を思おうが、何を言おうがそれは自由なのではありますが、安全な場所から大勢で攻撃できてしまうのが怖いなと思う次第です。
ですので、ゲーム機破壊の事案につきましては、いいとも悪いとも思わないという立場なのですが、だいぶん落ち着いてきたかなといったところに葉加瀬太郎さんが発言なされたようで、それについては少し思うところがありました。
ゲーム機を壊す事の良否は結構、でもそれだけで彼女の人格をとやかく言う事は間違ってます。もし彼女の人間性に何か言いたいのなら、まず彼女の音楽を聴いてからにしなさい。あんなに純粋で美しい音色を奏でられる人に悪い人がいるわけがないから。
とのことですが、これは違うのではないですかね。
人格と音楽の良し悪しは必ずしも一致するものではないと思われます。酷い人格から最上級の音楽を奏でるなんてケースは歴史上ゴマンとあるわけで、私は自分と関わらない位置にいるミュージシャンに人格は求めない立場ですので、葉加瀬さんの主張は納得できかねるなと。
ミュージシャンのみならず、役者やスポーツ選手、その他の職業の方々についても、自分と直接関わらない以上、どんな人格であっても私には関係がないのですね。素晴らしい演技を見せてくれる役者、素晴らしいプレーで心を躍らせてくれる選手、それで私は満足であって、私生活がどうであろうとどうでもいいです。
逆に、今の人々は自分と関わらないような相手に人格を求めすぎなようにも感じます。なぜそこに人格が必要なのかが分からないというのが正直なところです。まぁ、素行に問題のある人より無い人の方が重宝されるのでしょうけども、おかげで型破りな個性が出てこられない状況がないとは言い切れないと思うわけです。
少し話が逸れましたが、そんなわけで「音楽と人格」の部分について葉加瀬さんの主張に反論が寄せられるのは分かるのですが、そうではない、よく分からない難癖もついているようで、そちらが気になりました。
多かったのが、
音楽が素晴らしい=人格が素晴らしいということは、音楽が悪い=人格が悪いということになるので危険だ。
といった主張ですが、そんなこと葉加瀬さんは一言も言ってないと思うんですけどね。
よく、「○○好きに悪いやつはいない」という言い回しがありますが、それを聞いて「じゃあ○○が嫌いなやつは悪いやつなんだな!」と言い返す人とは間違っても関わらない方がいいと思うのですが、違いますかね。どうしてそういう捻くれた受け取り方をするんでしょうか。
葉加瀬さんが言っているのは、「素晴らしい音楽を奏でる人に悪いやつなんていないさ!」という主張(正しいとは思いませんが)であって、「音楽が悪くても人格が素晴らしい人」がいないなんて言っていないはずです。その辺りが考慮されないのはどうなのかと思う次第です。
良いと悪いしか考慮しなくとも、最低でも
人格良 人格悪
音楽良 1 2
音楽悪 3 4
この4パターンは存在するはずですが、葉加瀬さんは1があって2が存在しないというパターンを披露しただけであり、3と4については考慮していないというか、そこまで140文字で書けねぇよという感じではないでしょうか。
ここには「自分の意見と合わないもの=悪、嫌い」という短絡的な構図があるのではないかと思っておりまして、もしそうであれば、それは大きな間違いであると言いたいところです。
また、
空気の読めない善意は厄介だ。
というような主張も多く賛同を集めていたようですが、確かに葉加瀬さんの発言の背景には、ネットで袋叩きにあっている友人である高嶋さんを擁護するという「善意」が存在することは間違いないでしょう。ですが、「空気の読めない」というのはどこから出てきたのか少し疑問です。
葉加瀬さんが全ての成り行きと現状を知っていたのであれば、確かに空気が読めていないかもしれませんが、葉加瀬さんは世界中を飛び回っているミュージシャンであって、一日中トゥイッターに張り付いてああだこうだ言っている人たちとは得ている情報の量がまるで違うのではないかと想像されます。
ですから、いわゆるネット民の間ではもう終わりかけた過去の事件であっても、葉加瀬さんはようやく知ったところで、友人が袋叩きに合っているということに心を痛めて書いた、つまり彼にとっては最新の情報だったかもしれないわけですね。それに、いちいちネットの世論がどのように傾いているかなど念入りに調べてから発言などしていないと推測いたします。
もしそうだとしたら、「空気が読めない」と上から言い切る根拠はなんなのか、全くもって謎です。葉加瀬さんと直接話でもしたのなら別ですが、それはあり得ないでしょう。では、起こっている出来事全てを完全に把握してからでないと自らの意見の一つも言ってはいけないと、そういうことなんでしょうか。私はそんなわけの分からないルールは気にする必要はないと思います。
これは想像力の欠如ではないかと思うわけで、自分の尺度で話し合いも持たずに相手を叩き殺してもいいという緩やかな合意がネット世論ではまかり通っている気がしてなりません。相手と関係ないところで優位に立ってたくさん賛同もらってる俺スゲーをするくらいなら、ちょっと相手の立場になってみて優しい結論を導き出した方が人生楽しいんじゃないでしょうかね。なんてことを思わないでもないです。まぁ言論の自由ですからよいのですが。
葉加瀬さんの主張には同意できかねますが、彼が友人のことを思い、言わずにいられなかったのだろうな、優しい人なのだろうなと私は想像いたします。これもまた言論の自由であります。逆に高嶋さんはなんとも思ってなさそうなのがまた笑いどころであるわけで。想像ですけどね。
そういうお前は人格も音楽も最低だろとか言ってる奴、後でちょっとこい。
【2016.2.24追記】
完全に後出しジャンケンなので信憑性もクソもありませんが、ゲーム機を破壊したことについては、「親と子の約束なんじゃないですかね」と書こうとして忘れていたのですが、やはりその通りだったようです。
“大炎上中”高嶋ちさ子が初めて明かす「ゲーム機バキバキ事件」の真相
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160224-00005907-sbunshun-soci
というわけで、想像すれば答えが見えてくるわけでありました。じゃあ子供が折ってもいいと言ったからといって、本当に折っていいのかどうか。そこからやっと議論になるのではないでしょうか。でもネットであれこれ言っている方々はそういった議論をしたいのではなく、単に叩いてよい対象を見つけてスッキリしたいだけの人が多いわけで、なんかこう、どうにかならないものかなぁと思う次第です。