小市民ができるテロとの戦いとメシテロ

 9.11同時多発テロ以降、「テロ」という概念が心の奥底に引っかかった状態で日々を過ごしている方も多かろうと思うのですが、このところテロという単語がマスメディアにおいて再燃してきている感を受けます。

 我々、取るに足らぬ小市民としてはテロに対してできることなど何もないのではないかと思ったりもするのですが、先日アメリカで発生したテロの際にオバマ大統領が発していたコメントを読んで、ふと思ったことがありました。

 犯人はイスラム教徒の米国人だったわけですが、発生後オバマ大統領は「テロの可能性がある」と発言しておりました。

オバマ米大統領:テロ攻撃だった可能性ある-2日の加州銃乱射 (1)
http://www.bloomberg.co.jp/news/123-NYSSC4SYF01T01.html

 無論、米国のトップである大統領が憶測でこんなことを述べるはずもなく、ある程度の確証があったうえでの発言なのは当然です。が、オバマ大統領の発言がどうこうではなくて、この発言を聞いてハッとしたのですね。

 何か事件が起きた際に、容疑者が中東系だったりイスラム教徒であったりすると、それだけでテロという単語に結びつけてしまう人は恐らく世の中には多いはずなんです。

 テロリズムは暴力的な手段を用い、人々の恐怖心や不安感を操って事を成し遂げようという行為なわけですね。イスラム教徒といったって、ごく一部のテロリストを除けば一般の方々なわけで、中東系の人々だってそうです。宗教や人種をそのままテロに結びつけるという行為は、恐怖や不安、無知からくるものであって、その時点でテロに操られていると言ってもよいのではないでしょうかと。

 確かにテロは怖いですし、いつ自分の身に降り掛かってくるか分かりません。日本にいれば安全なんて時代ではないと思います。だからといってイスラム教=テロリスト、中東系の人物=テロリストなどという恐怖や無知からくる誤った思想を持った時点で、テロに敗北しているものと思います。

 我々一市民にできるテロとの戦いとは、恐怖や不安に負けず冷静な判断をし続けることではないでしょうか。

 こんなものは今更な意見ではありますし、大多数の方はきちんと実践されているものと思います。しかしながら、それでもなお、イスラム教徒が差別された、中東系の人が差別されたという情報が絶えないのは実に悲しいことであり、正していかねばならないことであると思う次第であります。

 でまぁ、そんなわけで、テロという言葉に正当性があるわけもなく、だから私は「メシテロ」なんて言葉でふざけているのを見るのがすごく嫌いですね。さらに言えば食事を「メシ」と言うのも大嫌いです。なので、メシテロなんて言葉は早く滅亡すればいいと思うし、使っている人がいたら、なるべく見ないように工夫したりしております。自由ですから使うなとは思いませんが。と最後に至る方面に喧嘩を売って終わりにしたいと思います。