犯罪を犯した人が書いた曲は穢れなんですかね

 ヤフーニュースの見出しが「校長逮捕 校歌のメロディ変更」になっていたので、校歌のメロディを勝手に変更した事で逮捕されたのかと思って、マジですかと驚いてクリックしたのですが、曲を作った校長が逮捕されたので、その曲のメロディを変更するという話のようです。見出しのつけ方がよろしくないと思います。

覚醒剤所持校長作曲の校歌、メロディーだけ変更
http://www.yomiuri.co.jp/national/20140515-OYT1T50022.html

 この記事だけでは詳しい背景が分からないのですが、犯罪者を犯した人間の作ったものは穢れているという思想なんですかね。いつの作なのか分からないのですが、犯罪行為の前に作った曲であったとしても、過去に遡って考えるのでしょうか。そうなってくると、その人のそれまでの人生そのものを否定する事に繋がる気がするのですが、ちょっとどうかなと。

市教委によると、「作品に罪はないので変更しなくていい」「歌詞も含めて変えるべきだ」などの意見が出たが、最終的には「子どもたちに正しいことを教えるためにも不祥事を起こした人物の曲は変更する必要がある」と全会一致でメロディー変更の結論に達したという。

 ううむ。子供に正しいことを教えるために不祥事を起こした人間の作った曲は認めてはならないとなると、そう主張する方々はビートルズの曲を認めてはいけない事になるのですが、どうお考えなのか聞いてみたいです。

 大麻で逮捕歴のあるビートルズの曲は正しくないので聞いてはいけませんね。メロディを変えねばいかんです。

 過去に暴行で逮捕されている北野武監督の映画を見てはいけませんね。これは正しくありませんよ。いくら世界で賞を受賞しようとも子供に悪影響であり、永久に見せてはならんのです。

 テレビも見られない番組が激増しますね。逮捕歴のある俳優とかアイドルとか歌手とかゴマンといますからね。テレビは破壊すべきです。

 教育のためだと称するならば、そういった事実はどうするつもりなんでしょうか。臭い物には蓋という発想に思えてならないのですが。

 清廉潔白なものだけが存在する世の中などありえず、光も影も、正も邪も存在するうえで人間社会が形成されているのですから、清濁併せ呑み、全てを現実として受け止めながら生きていく方がよろしいのではないかと思ってなりません。

 人間ですから、長い人生のうちに過ちを犯すこともあると思うんです。校長になったような方なのですから、いい事もたくさんしてきたでしょうし、多くの子供たちを見守ってきたんじゃないかと思います。一つの過ちでその人の過去全てを否定して、無かった事にしようという考えには私は同調しかねるなと。

 罪を憎んで人を憎まずという言葉の意味を教えるいい機会だと思うんですが、それは教育の役目じゃあないんですかね。

犯罪を犯した人が書いた曲は穢れなんですかね” に1件のフィードバックがあります

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA