合唱団の練習を見て思った事とか

 昨日、合唱団の練習に参加してきたわけです。

 そしたらね、すごいんですよ。皆、唄う事が楽しくて仕方ない! って感じで。心から楽しんでやってるんですね。士気が高い。すごい高い。雰囲気もいい。一つの音楽団体としては最高な感じ。アマチュアイズムの極みというか、アマチュア団体の理想型みたいな。こういう環境で音楽が出来るのは幸せな事だと思います。団員も指導者も運営も、奇跡的に噛み合った。これは長く続けてもらいたいなと。何とか活動を続けていく事はできないかなとか考えてます。

 まずやりたい事があって、音楽が好きだという気持ちがあって、人を楽しませたいという気持ちがあって、自分が楽しみたいという気持ちがあって。これらは音楽をやるうえで、常に忘れてはいけない重要な要素だと思っていて、そんなのはアマチュアにすぎないという人は多いと思うんですけど、プロってのはその延長上にいてはいけないのかなと。

 プロの定義は人それぞれあると思うのですが、私はプロなのでお金をもらえないなら出来ませんというのは、どうにも違和感を覚えるわけです。間違っているとも思いませんが。ただし、それであれば、「陸前高田にオーケストラを」に参加費を払って参加しているのはプロ活動とは決して認められないわけです。でも言われてみれば、確かにプロを名乗っている奏者はまずそういう活動に興味を示さないんですよね。でも、本当にそれでいいんですかね。

 極論してしまえば、金と技術でしか良し悪しを判断できない人間は音楽なんてやめちまえとか思いますけどね。音楽ってそういうものじゃないと思うんです。どうして音楽の道を志したのか、なぜ音楽の技術を磨いたのか、何がしたくて音楽をやっているのか。そこは見失ってはいけない気がしてなりません。アカデミズムにまみれて偉そうにするために音楽始めましたという人がいるなら、それはそれで別にいいと思いますが。

 私が今率先してやっているどの活動にも共通して言えるのかなと思ったのは「究極のアマチュアイズム」なのかなと。プロでございと、したり顔で音楽やるの嫌いなんですね。それを見て、お前のやっている事や考え方はプロじゃないというなら、どうぞご自由にと思います。プロだと思われたいと思った事もないですし。

「プロとはこうあるべき」

 という考え方自体、手垢にまみれた「あるべき論」でしかなくて、先人からそういうものだと教えられてきたから、疑うこともせずに信じこんでいるだけなんじゃないでしょうかと。

 それだけで食っていけるのがプロだという考え方は、当たり前のように言われるわけですが、最近はそれすら果たしてそうなんだろうかと思ったりしてます。もうそういう時代ではない気がするんですよね。プロである事と、稼げる事、売れる事はそれぞれ違うものなんではないかと。

 この話、指揮者として活動を始めようという頃から何度も何度も考えていて、考えれば考えるほど分からなくなるのですが、最近になって「ああ私はこういう活動がしたいんだ」とか「こういう風に音楽と共に生きていきたいんだ」と思える人と知り合う事が出来たりして、少し前向きになれたりしています。

 何を言おうと、そんなものは単なる理想論にすぎないと鼻で笑う人はいると思うのですが、理想論で何が悪いんだと。理想を捨て、長いものに巻かれて自分に妥協して生きていくことも出来ましょう。しかし、たかだか数十年の短い人生。私が死のうと生きようと、この宇宙の歴史には何ら影響する事なんてない。もたもたしていたらあっという間に終わってしまう。そんな中で自分の理想を求めて生きていく事が悪い事だとは全く思っておりません。

 そんな事を、昨日の合唱団の練習に行って思ったりしたのでした。思ったことを書き連ねただけなのでオチもなく、予想通り上手くまとまりませんでしたが、その辺はご容赦を。

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