ゲーム音楽の地位の低さ
ゲーム音楽は偏見、迫害に耐えてきた歴史であるというのは、黎明期から活躍する作曲家の方々がよく仰っていることです。また、令和の世になっても、ゲーム音楽の地位は低いという意見も目にします。
今日、これをまさに感じたのでありました。
X(旧Twitter)にて、クラシック音楽の愛好家と思われるアカウントから「ゲーム音楽の演奏会の機会が増えてきたが、そうなってくるとその場面を知らなければ演奏できないという時代が来るのだろうか」という内容の投稿が流れてきました。
「最近ゲーム音楽の演奏機会が増えてきた」というのは現状認識が足りていないという気はしますが、普段からゲーム音楽に触れていない方々、つまり世間一般ではまだまだそれくらいの認識であるということです。12年も活動して700曲以上を演奏してきたゲーム音楽のプロオーケストラが存在するなんて夢にも思っていないでしょう。ですので、ゲーム音楽が市民権を得て文化になるなど遥か未来の話だろうなと思い、私の場合であればNJBPを一人でも多くの方に知っていただけるように頑張らねばと思った次第です。
そこはいいのです。
「???」と思ったのはその後でして、クラシック音楽を生業とするプロの方々から「特に知る必要はない」「知らなくても楽譜があれば問題ない」という意見が出てきたことです。別に他の方の意見に興味はないのでわざわざ引用を見たり検索したりしたわけではなく、おすすめで勝手に流れてきて目に入ってきてしまったのですね。おすすめは本当に厄介なシステムですよ。
それって、その方々はクラシック音楽を演奏する際に「ベートーヴェンの5番の時代背景や作曲背景なんて調べる必要ないよ。だって楽譜があるから」と思って音楽家をやっているということであり、クラシック音楽を知らない人からそう言われても否定しないということですよね? オペラに乗る自分の教え子が「先生、楽譜があるんだからオペラなんて見なくていいですよね? 粗筋も知らなくていいですよね? 知ってたって意味ないですよ。だって楽譜があるし」と言っても「そうだね、プロテインだね」と言って否定しないということですよね? そんなことあるかな。あり得なくないですか?
その後、元の投稿は結構な広がりを見せたようですが、私はまだ広まっていない時点でこのように書きました。
演奏するゲームの背景を知ることは、クラシック音楽における作曲の背景を調べるのと同様で、演奏する前に行っておくアナリーゼの一つであるという立ち位置です。
X(旧Twitter)への投稿はそこまで熟考して書いていないので自らの意見を網羅しているわけではなく、不足する部分もあるので誤解されると嫌なのですが、対象のゲームをクリアしましょうとまでは思いません。RPGなら50時間とかかかってしまいますよね。演奏するRPGが3本あったら150時間? 無理です。ただ、少なくとも指揮者はゲームの概要や、曲が使われている場面については知っておく必要はあるだろうと思います。
ゲーム音楽が必ずしもゲーム内容に沿って作られているわけではないことも私は当然知っています。ですからゲーム内容と音楽は切り離すことができると言えますし、私自身、ゲームそのものと音楽を切り離して評価するのは大いにありだと思っているので、別にゲーム内容は知らなくていいという意見を否定はできません。ただ、それを作曲者や制作者が言うならありですが、演奏する側が言ってはダメなのではと思います。
楽譜があれば曲の知識はいらないという意見を是とするクラシック音楽家はいないはずです。ところが、こと対象がゲーム音楽になるとそういう意見が出てくる。ここに、ゲーム音楽の地位はまだまだ低いし、無意識に見下している人はいるのだなと感じたのです。
オペラの曲を演奏するなら、オペラそのものを見ておけと言われます。映画音楽を演奏する時だって、その映画を見ていた方がより理解は深まりますよね。ゲームも同じことです。ゲームをやらなければ、映画を見なければ演奏できないとは思いませんが、クラシック音楽もゲーム音楽も同じ音楽であることを考えますと、やはり元のゲームを把握しようとする態度は必要であろうと考えるというのが私の意見です。
いつかゲーム音楽の芸術性や価値が広く認められる世の中になるといいですね。その時はじめて文化になったと言っていいのではないかと思います。50年後か、100年後か、行く末を見届けられないのが残念ですが。

