現代音楽アゲの言説がすげえ

 いや、なんかもう、炎上待ったなしな話だなあと。

 佐村河内事件について、新垣氏を擁護すべく伊東乾氏という方がJBPRESSに寄稿しているのですが、これがまあなんというかアレな感じ。

偽ベートーベン事件の論評は間違いだらけ
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/39905

音楽家の善意を悪用、一線を越えた偽ベートーベン
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/39908

 まず全体を通して根底に流れるのは、「現代音楽やってるオレマジすげー。調性音楽(プゲラ」みたいな、隠し切れない上から目線。強烈に臭ってきます。さらに、氏は悪気があったり、攻撃しようと思っているのではなく、ナチュラルにやってるんだろうなと。まさにスノッブ。

 第1回で「あまちゃん」のBGMに対して、

 世間で流通する商用の音楽は、既存の書法の使いまわしでできています。その方が耳に親しみやすいし、ヒットもする。例えば連続ドラマ「あまちゃん」の音楽はよくヒットしました。ウイットとして面白いとも想いますが、そこに専門人は独自の新たな労作を見出しません。

 と書いてしまい、真意はどうあれ炎上するぞこれはと思っていたら案の定発火騒ぎになっちゃったみたいで、慌てて第2回でフォローしてるんですが、それがまた何が言いたいのかよくわからない。最終的には

 大友さんには次に手がける劇伴、もっと刺激的な仕事をしてほしいなと思います。

 とか書いてて、結局「あまちゃんの音楽とか駄作」って言っちゃうんです。これらを読む限り、現代音楽は調性音楽より全てにおいて優れており、現代音楽以外は価値のある音楽と認めるに値しないと、本気で、ピュアに、何の疑いもなく信じていらっしゃるのかもしれないなと思いました。現代音楽を仕事にしている方らしいので、自分のフィールドに誇りを持つのは大切だし、間違っていないと思うんですが、ある事象を持ち上げるために別の事象を貶めて、相対的に価値を上げようとするやり方じゃなきゃ誇りを持てないんですかね。ダメだろそれ。

 調性音楽は勉強すれば誰でも書けるクソみたいなものです。と捉えかねられない言説であって、調性音楽を否定するのであれば、この世で生み出されている9割以上の音楽は無価値で無意味なものになると思うんですが、それに賛同する人って果たしてどれくらいいるんですかね。調性音楽すら満足に書けない私はどうなってしまうんだ。大腸菌か何かか。氏にしてみれば、それが分からない愚衆が悪いんだと脳内変換されそうな気がしますけども。

 「一般人には理解しがたい不協和音」などと簡単に言うけれど、例えば歌舞伎やお能を見に行って、その中に1つでも「協和音」が出てきますか?

 そんなバタ臭いものは出てこない。お神楽でも、葬式で坊さんが読むお経でもいい。日本の伝統はすべて、きわめて高度に「不協和」な響きでできているし、それを「一般人」はみな普通のものとして受け入れている。

 だからなんだって話で。そもそも歌舞伎や能は、普段から誰もが耳にして、普通だと思っている大衆的なものなんですかね? お経にしたって、あれはお葬式という場だからであって、お経のCD買って普段からお経を聞こうと思う人がいるんでしょうか。ドライブしながらお経聞いてる人とかいるんですかね。言ってみれば、環境音にだって協和音なんてそう無いわけで、普段から身近に不協和音が溢れていることと、一般人が理解していることはイコールではないと思うのですよね。関係ないけどお坊さんってiPodでお経聞いたりするんですかね。私、お経アプリは持ってますけど。

 実際、新垣君自身が言った「自分が作曲した作品が、映画音楽であれゲーム音楽であれ、多くの人に聴いてもらえる。その反響を聴くことができる。そのことが純粋に嬉しかったのです」という言葉は、例えて言うなら、自分が出題した問題に学生が解答し、あちこちの塾などが模範解答を出し、「今年の第2問はまれに見る良問だった」なんて言われたら、守秘ですから黙ってますけれど、心ひそかにニヤーっとすると思います。

 違うんじゃないかなあ。純粋に、自分の作った音楽を聞いて喜んでくれる人を見るのが嬉しかったんじゃないんですかね。私は、それがなんであれ、自分がしたことで他人が喜んでくれるって、至上の嬉しさだと思ってます。氏の会見などを見る限り、そんな捻くれた喜びを感じるような方ではないような印象を受けましたけどね。これ伊東氏の勝手な想像ですよね。私の意見も完全に想像にすぎないので大した違いはないですけど。伊東氏は新垣氏とお友達らしいので、そちらの方が正しい可能性は高いのかなとは思いますが。

 これが、商用音楽での考え方と180度違うところなのです。営利で音楽をやっている人は、もう手垢だけでこねたような、音楽としては一切新味のないものをJASRAC(日本音楽著作権協会)に登録して、1銭でも多く配当金を得ようと考えるのが基本でしょう。

 そんなことは一切ないとは思いませんが、調性音楽の世界で本気で魂を込めて音楽を作っている人もたくさんいるわけで、こういう物言いは控えた方がよろしいのではないでしょうか、などと余計な心配をしてしまいます。

 何であれ、一目見て「芸能系の売り出し」が明らかで、まともな作曲家がすることではありません。率直に、亡くなった武満徹さんなどは、相当に自己演出のある方だったと思いますが、さすがにメークして宣材写真を撮らせたりはしなかった。

 三善晃でも林光でも松村禎三でも誰でも、普通の作曲家は普通の服装で普通に写った写真しか出しません。だって顔で音楽するわけではないのだから、当然です。

 佐村河内氏を擁護するわけではないですが、「まともな作曲家」「普通の作曲家」でなければゴミだという偏狭な価値観が爆発してますね。だいたいその「まとも」「普通」だって伊東氏の価値観にすぎないわけで。佐村河内氏をピンポイントで爆撃しようとして、その他の関係ないところにまで焼夷弾撒いて焼いちゃいましたみたいな焦げ臭さを感じます。

 その後もなかなか壮絶でありまして、

「~かもしれません。」
「~可能性が高いと思います。」
「~と察しがつきます。」

 と、全ては伊東氏の思い込みに基づいた想像上の根拠でありながら、

 ところがここから先、偽ベートーベンは、こうした新垣君ののんびりと牧歌的な想像を絶した行動を取り始めます。

 と妄想が全て事実である前提でまとめちゃうんですね。すげえ……。校正担当なにやってんだ仕事しろ。Aかもしれない、Bかもしれない、Cかもしれない、だからDであるのは間違いない! ってそんなトンデモ理論がどこにあるんだ。今すぐと学会の皆様におかれましては凸していただきたい。今すぐにだ。

 さらには鬼武者の音楽まで否定しちゃって、あーあこりゃダメだと思ったあたりで面倒になったので終わり。これを平然と掲載しちゃうJBPRESSって大丈夫なんスかね?

 結論としては、他人の心境を自分の都合のいいように解釈した無責任な妄想記事であり、この事態に乗じて現代音楽のプロパガンダをしたかったってことでよろしいでしょうか。

 お疲れ様でした。

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