笑点のテーマじゃない曲を笑点のテーマだと言って聞かされ続けていた話

 あれは確か小学5年生のときの話。

 堀越(仮名)という先生が音楽の時間の担当をしていた。黒髪ストレートのロングヘアーで眼鏡をかけている女性の教員だ。学校に在籍していた教員内では若い先生で、今にして思えば恐らく音大を出てから教員になって、まだ数年程度だったのではないかと思う。私はもう、あの頃の堀越先生の年齢など、とうに追い越しているのだなと思うと、なんだか感慨深い。あくまで16歳ではあるが。

 授業中に得た断片的な情報から判断するに、どうやら音大の声楽科を出ていたようで、たまにピアノ弾き語りで「荒城の月」なんかを聞かせてもらったのを覚えている。まさに声楽を学んだという発声で、内心「おお、これはすごい」と思いながらも、ただ黙って聞いていた。

小学5年の男児にとって、若い女性教員というのはからかいの対象であって、クラス内にそういったコンセンサスが形成されている以上、下手にすごいなどと感想を漏らせば、お前はあの先生が好きなのだな、などとあらぬ噂が立つことになり、自分に火の粉がふりかかってくるのは必至であるから、それは避けねばならない。尊敬の対象であるなどと疑われかねない素振りは、決して見せてはならない。

 他人から音楽を教えてもらったと、はっきり認識している最初の記憶はそこで、堀越先生の授業は嫌いではなかった。むしろ音楽の時間はちょっと楽しみだった気がする。しかし6年生では担当が変わり、さらに中学校に入ってからは、担当する音楽教師の質が下がっていく一方になるのだが、それはまた別の話。

 小学生というのは概して大人しく黙っていられない生き物で、隙あらば喋りだし、気を抜けば即、がやがやとしたカオスな空間が形成されるものだ。そうなった際のテクニックなのか、堀越先生は児童の注意を惹きたいときに、皆が知っている曲をピアノで弾いて場の空気をコントロールしていた。

 そんな時に毎回演奏される定番曲が「笑点のテーマ」だった。もとい、「笑点のテーマだと主張がなされる出所不明のオリジナル曲」だった。

 JASRACがインターホンを鳴らしにきそうな気がするので、ここで音階を記すのは避けるが、笑点のテーマといえばあれである。有名なあの曲。

 テッテテステレテ ッテッテッ♪

 おわかりだろうか。全国一億人の笑点フリークの皆様はこれだけで十分おわかりだと思う。好楽師匠のくすりともこない、救いようのない回答を罵倒しながら見るのが好きだ。これだからピンクの小粒好楽なんだよ早く引退しろなど悪態をつきながら見る笑点は日曜日の国民的な癒しイベントのはずであるし、笑点のテーマは中間部のギターソロが最高にイカすのだが、ある時からオープニングを短縮して中間部をカットするようになったのは到底許し難い蛮行であるため日本テレビには厳重抗議をしたい、BPOで審議していただきたいなど、言いたい事は色々あるのだが、それもまた別の話。

 そんな笑点のテーマを堀越先生はピアノで演奏する。しかし、リズムこそ同じではあるが、その旋律が

 ドッミミドミドミ ッソッソッ♪

 なのだ。

 違う。それは笑点のテーマじゃない。それは笑点のテーマとは言わない。飛影はそんなこと言わない。私はいつもいつも、「それ」が奏されるたびに心の中で抗議の声を挙げていた。しかし周りの誰もが、それを笑点のテーマだと信じて疑わない。皆、嬉々として「その曲」に耳を傾け、ピアノの周りに集まるのだった。おかしい。こんなことは許されてはならない。私だけ聞こえている音が違うとでもいうのか。集団洗脳かハーメルンの笛吹き男か。挙句の果てに「せんせー、笑点の曲弾いてー」などと言い出す馬鹿者が現れる。違うんだ。君は騙されている。早く気づかなくては。ほら、早く!

 今ほど自我が発達していなかったであろう小学生の私は、結局クラス内に存在する同調圧力に負け、あの曲を笑点のテーマだと暗に認めたまま小学校を卒業した。なぜあの時、違うものは違うと主張できなかったのだろう。正しいものを捻じ曲げてしまったのだろう。

 その出来事が、あれから遥か長い時間が経たんとする今でも、心の中に強く残っていて、なぜあのような曲が笑点のテーマとしてまかり通っていたのかを解明したい気持ちでいっぱいだ。

 堀越先生は聴音が苦手だった? そんなはずはない。音大を卒業しているのだし、他の曲はまともだった。

 JASRAC対策? これも違う。教育現場なので自由に使えたはずだ。

 わからない。本当にわからない。あれは何だったのだ。夢か幻だったのか。はたまた、どこかで記憶がすりかえられているのだろうか。もし私の同級生が、このブログを見るようなことがあれば、どうかお問い合わせフォームからご一報いただきたい。情報をくれたら酒くらいおごろう。この謎を抱えたままでは死んでも死にきれない。わからないまま終わる、そんなのは嫌だ。

 今でこそ、こうして文章にしてまとめる事ができ、今だから書ける表現で脚色はしているが、当時から大体こんなことを考えていたのは確かだと思う。基本的に過去は忘れるタイプなので昔のことはあまり覚えていないのだが、記憶を引っ張り出すにつれ、ませた嫌なガキだったんだなとよく思う。こんなどうしようもない人間に育つのも納得である。

 子供は素直な方がよいと思います。

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