エンケン(遠藤賢司)さん追悼ライヴ

 今宵はエンケンこと遠藤賢司さんの追悼ライヴ、「生誕71年 エンケン祭り ~追悼・遠藤賢司~」を見に渋谷クラブクアトロへ。

 渋谷クラブクアトロなんてナウいところに行くのは初めて(それも独りで!)で、煙モクモクのバンドマン大集合の私なんぞが普段着で行ったら場違いも甚だしいのではなんて思っていたのですが、実に真っ当なライヴハウスでありました。むしろここでライヴやってみたいくらいの勢いです。

 大変お恥ずかしい話ですが、音楽家でありながらエンケンさんのことは3年ほど前まで一切存じあげておりませんで、某方に教えていただきその存在を知り、その熱の入った話しぶりから、これは一度ライヴに足を運ばねばならぬと思い、フェイスブックページに滅多にしない「いいね!」し、その動向を見続けていたのですが、都合のつく日でも大阪開催だったりと、なんだかんだで足を運べぬまま、ふと気づけば病魔に蝕まれ、その後復活と闘病を繰り返しつつライヴ活動を行われていたものの、結局一度も生で拝見することなく、昨年10月25日に惜しまれつつこの世を去っていかれました。Yahoo!ニュースのトップでも報じられましたので、エンケンさんを知らずとも見た記憶のある方もいるのではないでしょうか。もう3ヶ月も前のことなんですね。なんだかつい先月くらいの出来事のような気がいたします。

 さて、そんなエンケンさんの追悼ライヴが開催されると某方より先月くらいに耳にしていたのですが、今年に入ってから成人の日の連休中にチケットが売り切れそうだという情報がフェイスブックページから流れてきましたので、この機会を逃してはならぬと即入手し、本日行ってきたというわけです。

 追悼ライヴですので、湯川トーベンさんはじめ、世間的な知名度がかなり高い方で言いますと、大槻ケンヂさん、鈴木慶一さん、細野晴臣さん等、非常に多くのミュージシャンが入れ替わり立ち替わりでエンケンさんの曲であったり、ご自分の曲であったりを熱唱、演奏されておりました。2時間半のステージを休憩なしでスタンディングでしたけれども、あっという間に時間が過ぎ去っていきました。誰が言ったか失念しましたが、「天国とロックで繋がってるぜ」という言葉が印象に残っております。

 アンコールが1曲あり、全員がステージに上がっての大合唱があったわけですが、それも終わり、全てのプログラムが終了したかと思った時、ステージ中央にマイクが1本、ギターが1本置かれ、誰もいないその空間にスポットライトが当てられまして、はてもう一曲あるのか、何が始まるのかと思っておりましたら、なんとエンケンさんのライヴ音源が1曲流されました。

 ここで私は生涯最初で最後かもしれない衝撃的な体験をすることになったのです。

 私は今まで、生演奏に勝る録音は存在しないと信じてきました。「遠くのベルリン・フィルより近くのアマオケ」は私の座右の銘の一つでもあります。だからこそ、時間芸術たるオーケストラの演奏が好きであり、指揮が好きであり、音楽に限らず舞台芸術が好きなのだと。いや、今でも信じています。ですが、今日だけは違った。

 出演された多くのミュージシャンには本当に申し訳ないけれども、熱の篭った誰の演奏より、最後に流れたエンケンさんのライヴ音源に衝撃を受けたのです。雷に打たれました。あり得ない。あり得ないけれどもあり得てしまった。あり得たのだから認めるしかない。

 エンケンさんが亡くなって、感傷的になっているから? 亡くなったという事実が良く聴かせた?

 断じてそのようなことはないと強く申し上げます。

 そこに流れてきたのは、命を削るような音楽でありました。これ以外に形容する言葉がありません。

 音楽の本質、源流。頭で分かってはいるけれど、実際に目にする、耳にすることはほとんどない、音楽の在り方というものをまざまざと見せつけられた気がします。

 録音であれなのだから、生で聴いていたらどうなっていたのだろう。考えるだけで恐ろしいですし、生で拝見できなかったことを本当に残念に思います。

 今日の経験はこの先忘れることはないと思います。二度と体験できないかもしれない奇跡的なものでした。そして、自分にとっての音楽観を根底から覆す二度目の体験でした。エンケンさん、今日はどこかから見ていらっしゃったのですかね。

 もしもあの世があるならば、いつかあちらでお会いして、ご迷惑でも本日の、この感激をお伝えしたい。(七五調)

 また、自分はまだまだだということも突きつけられた気がします。いや、そんなことは分かりきっているのですが。じゃあエンケンさんみたいになれるのかと言われたら、それは分からないとしか言えません。一生かかったって無理かもしれない。ただ、目指そうとすることは出来ます。目指すにはとにかく続けるしかない。折れず、腐らず、諦めず、音楽に心から対峙していけば、いつかその片鱗に触れられるかもしれない。その片鱗を誰かに見せられるかもしれない。

 と、当たり前のことばかり書きましたけれども、これからも出来る限り音楽を続け、多くの方に演奏をお届けしてまいりたいと思います。

 今日の機会をくれた某方に心より感謝いたします。ありがとう。