やっぱり考察が苦手

 以前も似たようなことを書いたのですが、最近より明確に原因が分かりました。考察が苦手なんじゃなくて、考察と銘打った妄想が苦手なのでした。

考察が苦手 | 亮曰く (185usk.com)

 考察というのは、明示されている手がかりを元に、隠された事実を導き出していくものであって、出発点が間違っていたり、自分にとって都合のいい考えが入ったり、明示されていないことを前提に、さらに先へ進んでいくのは単なる妄想や空想なんですね。それって単なる二次創作じゃんと思ったら合点がいきました。考察という名の妄想が好きな人は、本当は自分が作り手になりたくて仕方がないんじゃないかと。
 だったら自分で作品を作ればいいんですが、それは出来ないし、それでは注目を浴びるはずもないので、他人の作品を使って自分の頭の中にある物語を展開させるわけです。これを考察と呼び、批判的な目を持たない周囲がすごいすごいと持ち上げる。こういう構図なんでしょう。
 冷静に考えれば、作った人はそこまで考えてないと分かるはずなのですが、虚構と現実の区別が付きづらくなって、その狭間を揺蕩ってしまっているのかなと思いました。