アーティストは死んだ後も生き続けるために活動しているということを知りました


 トゥイッターでこんなのが流れてきたんですね。

 全てとは言っておらず、「ほとんどの」ということですので、8割9割はそうであると考えることにいたします。

 私としては全く理解できない考え方なのですが、いいね!やRTが多いということは、これが世間では基本的に支持される考え方ということなんでしょうね。

 ミュージシャンが死んだ後に急にそれに興味を持つのはちょっとねぇ……という意見に対して、そんなことないよと言うのはとても賛成なのですが、引っかかったのは後段であります。

 死んだあとも生き続けるために創作活動を行っている??? つまり、ある意味で永遠の命を得るために、音楽家に限らず芸術に関わる人達は活動しているのだと、そういうことなんでしょうか。そうなんですか???

 人間死んだらそこで終わりですし、後の世でいくら名声が高まったところで自分には知る由もなく、それに何の意味があるのか知りたいです。

 自分が死んだあと、自分の預かり知らぬところで人々の心の中で生きていくのは別にいいと思うんですよ。それは自分がどうこう出来ることではないですから。ですが、自ら望んで死んだ後も祭り上げられたいだとか、ずっと有名でいたいとか、そんな死んだ後のことを気にして音楽を作ったり、歌ったり、絵を書いたりしているのだという主張は私には理解できませんでした。

 ですが、トゥイッターなどを拝見する限り、田中氏と私を比較すれば私は路上に捨てられた噛んだあとのガムみたいな存在でしょうし、比べ物にならないほど富も名声もある方のようです。糸井重里さんも賛同する投稿をしておられます。そういえば、ゲーム業界の大御所とも言える、あるクリエイター氏も、「俺は死んだ後、たくさんの人に墓参りに来てもらえるようになりたい」などと仰っていて、この人何を言ってるんだろうと感じたのを思い出しました。となりますと、そう思って生きられるか否かが、世の中で大成する人間と、世間から認められずに終わる人間の分かれ道と考えるべきでしょうか。

 でもですね、どんなに知名度がある人が言おうとも、私にはやはり理解できないし、いいなとは思えないというのが今の心境です。

 遅かれ早かれ人は死ぬわけで、そこで人生は終わりです。何を言おうと終わりです。その後は無い。それがいつ訪れるか分からないだけであって、40年後かもしれないし、明日かもしれない。だからこそ、悔いの無いように目の前にあることを見据え毎日を生き抜いていくのであって、死んだ後のことを気にして生きるなんてどうかしていると思ってしまうわけです。それは死に使役される、いわば死の奴隷ではなかろうかと思う次第です。

 死は平等に訪れます。人間は死ぬために生きております。ですから、ある意味誰しもが死の奴隷なのかもしれません。ですが、命ある限り、自分の人生は自分の生のために燃やし尽くしたいと思うのです。周りの目を気にして他人の人生を生きるなんてまっぴらごめんですし、ましてや死んだ後のことを気にして芸術活動をするなんて考えられない。自分がそう思うことと、自分の外の評価は別です。結果的に自分の存在が死後も生き続けるとしても、それは自分がどうこうすることではないと思っております。

 そんなことをふと思ったのでつらつらと書き連ねてみたわけでありますが、何も成していない私の言うことなど、超有名な方々がそうだそうだということに比すれば一笑に付されるレヴェルの戯言なのでありましょう。

 氏の発言を良い方向に捉え、自分は「ほとんど」には含まれない音楽家なのだと思って生きていこうと思う次第です。そもそも音楽家なのかどうかすら怪しいとか言わないように。シャラップ。