プロ根性という謎の概念につきまして


 SMAPの仲居氏が父上を亡くされた事をおくびにも出さずに仕事をしていた事に対する賞賛の声があったようですが、この手の話を美談とする風潮については、いつも疑問を抱きます。

 私がネットで目にしたのは和田アキ子さんの談話ですね。まさにプロだという事で、いわゆるプロ根性というのでしょうか、それを賞賛する内容でした。

 芸事の世界に入ったら親の死に目に会えると思うなというのはよく言われる事で、私ももちろん覚悟している部分はあるのですが、私が指揮の仕事や本番の直前や最中だったらどうするか。人間の心などその時になってみないと分かりませんが、意識の上では指揮を続行すると思います。

 ただ、それがプロ根性だとかなんとかと賞賛されるべき話かと言うと、そんな事はないだろうと。

 仮に家族の事を優先したとしましょう。それはそれで親孝行ですし、誰も非難できないものと思います。それを、プロ失格だなどと揶揄するような者がいるならば、いかがなものかと。

 親より仕事を優先した、これぞプロだと賞賛するのは、裏を返せば仕事より家族を優先する人間に対する非難感情を持っているのではなかろうかと。家族が亡くなった事で人目もはばからず号泣する人がいて、それをプロじゃないねと問題視するんでしょうか。

 メジャーリーグでは、どれだけ主力であろうと、親の不幸、妻の出産といった時は試合を休む事が認められるそうなのですね。私は存じませんが、アメリカは全体的にそういう感じなんでしょうか。

 翻って、この国特有なのかは分かりませんが、日本ではどうも何よりも仕事が優先であるという認識が形成されている気がいたします。

 私はそれはどうなのと思っている方でありまして、自分と直接血が繋がっている存在というのは家族、それも肉親しかおらず、それ以外は全て例外なく他人なわけです。どれだけ仲が良かろうとも、です。

 仲の良し悪しにかかわらず、例え何があっても関係性を放棄出来ない人間なんて、死ぬまでに何万人と知り合ったとしても肉親以外考えられないわけですね。たったの数人です。

 それに比べたら仕事なんて自分の代わりはいくらでもいますし、本来優先順位は低いものだと思うんですよ。どうしてそこまで仕事が大切なのか。ここは掘り下げていくと人間社会が生み出した不幸だなという点に行きつくのですが、別の話なので割愛いたします。

 結局のところ、どちらの生き方を選択しても、それは個人の自由ですし、どちらも悪い事ではないと思います。顔色を変えないのが美学なのか、感情をあらわにするのが美学なのか。いや、美学云々ではなく、自分の心に正直に生きるのが最もよいのではないかと思います。

 ともかくプロ根性みたいな訳の分からない勝手な概念で人を持ち上げるのはやめろと、和田女史にはそう申し上げたいところです。

 金本アニキが満身創痍でバックホームが中学生並になっている状態で試合に出続け鳥谷遊撃手のポジションがショフトになっていた事について、怪我を負いながらも試合に出続けるプロ根性だなんて言って褒めるんですかね。それは違うでしょうと。話が逸れましたすみません。

 何が言いたいのかというと、和田アキ子さんは歌手なんですかねという事です。ああ、私が何があっても指揮者を名乗るのと同じですかね。なるほど。ガッテンガッテン。ガッデム。