ボランティアで無償演奏がどうのこうの


 今更感のある話題ではあるのですが、ネットでニュースを見ていたら、病院のロビーコンサートの話が取り上げられていたのでふと思い出しました。

 病院のボランティアとしてロビーコンサートの依頼をされたものの、無償が当たり前だと思っているのがどうこうと憤慨しているプロ音楽家のブログだか何だかが定期的に話題になりますね。いつだったか似たような話題について拙ブログに書いたのですが、私はどうも居心地の悪い話だなと思ってしまう方です。

 まぁ、ボランティアという言葉を盾に無償で人から労力を搾取しようという事自体は到底褒められたことではないとは思います。頭悪いなと思います。そこは同意です。だったら病院こそ究極のボランティアとして無償で市民に奉仕しろよと、そう思います。

 ただ、だから病院は無償で演奏依頼などというふざけた事はするなという結論はどうもなぁと。そりゃあなたが事前にきちんと条件を聞いて判断し、気に入らなきゃ受けなきゃいいだけの話じゃないんですかね。

 それに、例え自分が拒否したとしても、無償でも喜んで受ける別の音楽家がいる限り何も変わらないと思います。相手からすれば何だこのガメつい音楽家はという残念な認識で終わるんじゃないでしょうか。無償でいいなら多少腕が悪くとも、そちらが選ばれるでしょうし、さもなくば、お金を払ってもこの人に頼みたいという存在になるしかない。

 だったら、「音楽家の皆さん、無償では演奏依頼を受けないようにしましょうよ」という喚起の方がいい気がするのですが、何で皆さん依頼する側にキレるんですかね。無償で受ける人がいなくなれば多少なりとも改善されるんではないでしょうか。依頼の対象がアマチュアになるだけかもしれませんが。アマチュアでも上手い人は沢山いますからね。

 自分の代わりなんていくらでもいるわけです。自分はプロなんだとかなんとか声高に叫んで、だからお金を貰えて当然だなんてのは思い上がりじゃないですかとすら思う事があります。いや、その意気やよしなのではありますが。しかし、お金を貰えなきゃやらないというのも、無償でもやるというのも、自分の選択でしかないわけで、音楽家なんていなくたって世界は回っていくのですから、この道――特にクラシカルな世界――を選んだ時点で厳しい境遇については覚悟し、自分と周囲の折り合いをつけていくのがよろしいのではないかと思います。

 他人を変えようと思うな。自分が変われ。

 そういう話ではないでしょうかね。