あれから4年


 気づけば震災から4年という事で、あまりにも早い時の流れと、なかなか進まない復興に、とまどいを隠し切れないものがあります。

 震災についての想いなどは過去にブログに書いていますので、私にはもう語る事はありません。私が受けた被害は「ものすごい揺れで、死ぬかもしれないと思った」程度のものであり、その後もこうして生きています。震災で家族や知人を亡くしたわけでもありません。ですから、言葉を重ねれば重ねるほど嘘くさくなるし、語る資格も無いと思っています。

 4年が経過した今でも仮設住宅にお住いの方々がたくさんいらっしゃいます。生活そのものを元に戻すことが出来ていない多くの方々を支援するには、何よりもお金が必要なのだと思います。絆だとか頑張ろうだとか、そういったフレーズが多く聞かれる中、お金と言うと敬遠されがちだと思うのですが、実際問題お金の問題はとても大きいのでしょう。

 言葉や想い、ましてや音楽ではどうにもし難いものであると思っています。かといって、継続的に金銭的な支援ができるほど経済的に恵まれているわけでもありません。

 仏教の教えでは、自分の持ち物は全て困っている他人へあげましょうという概念があり、本当に実践されているお坊さんが海外にはいるそうです。しかし自分如きにそんな事ができるはずもなく、生活を維持するので精一杯です。

 自分の事ですら豊かに出来ない状態で、他人の援助をする事が果たして正しいのだろうか。もちろん間違いではなく、それは素晴らしい事だと思います。ですが、私はまずは自分が頑張らねばという結論に達しました。まずは自分が頑張り、他人を支援できるくらいの余裕を作らねばならないだろうと、そう思っています。

 ボランティアやチャリティーは、自分の事がきちんと出来てから。大変利己的ですが、今はそういう考えで落ち着いています。

 なので、震災関連で今自分が何かできているのかと言うと、ほとんど何もできていないような状態です。だからなおさら、語る資格が無いのです。言うは易し、行うは難し。痛ましい言葉を並べるだけなら誰でもできます。しかしそれに何か意味があるのか。単なる感傷は、大きな傷を負った方には迷惑なだけかもしれません。

 今の私にできるのは、忘れないこと。そして、伝えること。私は震災の年から陸前高田に3回足を運びました。そこで見た事は忘れていません。被害者ではないけれど、実際の光景を知らない人に、それを伝える事はできると思っています。

 忘れない。そして、せめて私の知り合いだけでも、震災の記憶を無かった事にしない。それだけが唯一、今の自分にもできる事です。

 全ての方に平穏が訪れますよう。

3.11あれから3年
http://blog.185usk.com/2014/03/post-33553.htm