他人の顔色を伺ったり批判を気にして生きている時間は無いと思ったりします


 大きな病気や事故に遭う事なく、運よく天寿を全うできたとして、人生はおよそ3万日程度しかないわけです。そのうち、心身ともに快調で、自分の思う通りに行動ができる時期なんて半分もないのではないでしょうか。となると、本当に望み通りに生きられる時期はわずか1万5千日以下でしかないと。

 なんて事は常に意識しているのではありますが、最近ある事でふと改めて思いまして、こんな記事を書き始めた次第です。

 たったの300日なんて本当にあっという間に過ぎ去ってしまうもので、あと99回それと同じ期間を繰り返せば、生まれたばかりの赤ん坊が老人になり、人生が終わる長さなのだと思うと、人の命など一瞬にすぎないのだと感じずにはいられません。私にはどれだけ残されているのだろうかと。

 それだけに、わずか3万日しかない猶予、それも人の事がどうこうなどと言える1万日程度の中で、他人にどう思われるかなどという下らない事に心を砕くのは無駄以外の何物でもないと思うわけです。他人の評価を気にして行動する事のなんと虚しい事かと。

 恐らく通常の行動原理は、意識するしないに関わらず、人に嫌われたくない、人に悪く思われたくない、人から好かれたい、だと思いますし、それが良いのだという価値観を小さいころから教育されているものと思われます。

 であるがゆえに、自分の正直な気持ちは極力閉ざし、当たり障りなく多くの人と接しようという努力をするのだと思いますが、これは果たしてどうなのかと。相当にいびつなんではないかと、ようやくここ5年くらいで気づき、2~3年で顕著になっております。遅きに失した感はありますが。

 現在では直接の繋がりだけでなく、ネットが発達したので特にそうなのですけども、本音が言えない方が多いように見受けられます。しかし、それも結局、批判されたくないというものが根本にあるわけで、ではなぜ本心が批判されなければならないのか、というところまで目を向ければ、それがおかしい事に気づくのではなかろうかと。

 本心をいうと人から批判されるという事自体どうかしていると思うわけで、本心こそその人の魂の叫びであり、最も尊重すべきものではないんですかね。本心を押し隠し、いい子であろうとする事が良いとする風潮は、あまりにクソすぎると思っております。私は本心で叫ぶ人好きなんですよ。例え自分とは意見が違っても。

 いや、もちろん批判はよいです。違うと思うならそれは違うと表明すればよいだけの話で、議論でも喧嘩でもすればよいでしょう。そうではなくて表明もしないで陰口を言うという構図がネットにはあって、それを嫌がる方も多いと思うんですけども、そんなのはどうでもいいと思うのですよね。そもそも批判されたくないなら何も言うなという話ですし。

 結局最後は自分だろうと。自分が変われば周りも変わりますし、周りを変えようなどと思うのはおこがましい事であり、無理だと思います。周りが変わるというのは、自分の視点や心持ちが変わったからにすぎず、ポジティブもネガティブも決めているのは自らの心にすぎないものと思います。

 ですから、どうでもよい下らない事で悩んでいる暇があったら、自分のためにその時間を使うのが良いと思うのですよねと。悩み事のほとんどは人間関係だと言われます。が、その9割は下らない事です。間違いなく。

 とりとめもなく書いただけなので、特に意味もまとめもないのですが、結局はいつも本ブログに書いているように、自分の心に正直に、そして目の前にあるやるべき事を毎日ひたすらにやっていくしかないのであろうと思います。

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