日本BGMフィルの今後について~前編

 市原テメーなにやってんだ、ファッキンジャップくらい分かるよバカヤロー! と動向が気になっている方が世間にほんの数名程度はいらっしゃると思います。5月になった事ですし、軽く触れておきたいと思います。

※2016年6月27日、下記記事を追加しました。
新日本BGMフィルハーモニー管弦楽団(NJBP)とJAGMO(ジャグモ)について
http://blog.185usk.com/2016/06/post-262016.htm
※ここまで

 まず、日本BGMフィル解散に至るまで何があったのかにつきましては、何を書いても、どんな書き方をしても誰かしらをdisってしまう結果になると思われ、得をする人がいないと思われますし、私もそれは望みませんので、ここでは伏せさせていただきます。

 さて、客観的事実としてお伝えしておきたいのは、日本BGMフィルの解散について私が決めたですとか、私が希望したという事実はございません。発起人ですから、私の意向で決まったと思われている方もいらっしゃるかと思いますが、それは事実ではありません。10月の第1回公演までの方針、コンセプトは私の意思を基に決定してまいりましたが、それ以降のオーケストラの動きに私の意思は反映されていません。

 2012年の1月、何もないすべてゼロの状態から始め、名称募集、法人化、オーディションという過程を経て、1年半以上にわたり時間と労力をかけて作り上げたものですので、解散させたいと思うはずがないのです。また、私は実利よりも、義理や人情を優先してしまう傾向があるようでして(だからビジネスマンには向いていないのだと思いますが)、1,500通近い熱い応募から選ばせていただき、ようやく世間様に知られてきた日本BGMフィルという名前を無くすという事は私の発想には一切ない事です。命名者様に申し訳が立ちません。

 以前、当ブログでもお伝えしましたが、3月の第2回公演の選曲や演出、ゲスト等のコンセプトについては、私は一切関わっておりません。私は指揮者として指揮をさせて頂いたのみとなります。日本BGMフィルの第2回公演と銘打ってはありましたが、JAGMOの公演に日本BGMフィルが起用されたという、PressStartと同じ形態であったとお考えいただくと分かりやすいかと思います。

 ジャグモと日本BGMフィルの関係性についてですが、日本BGMフィルに在籍していた奏者で、希望する方は移籍が可能という話を聞いています。また、わたくし市原が創始者である日本初のゲーム音楽を演奏するプロオーケストラ、という点は継承するという話も聞きました。では市原は関わらないのかというご質問をいただきますが、3月公演をプロデュースし、新生ジャグモの代表取締役に就任したプロデューサー氏からは以下のように言われております。

「あなたとは考え方が相容れないので一緒にはできません」

 というわけで、私がジャグモに関わる事はございません。

 私が目指していたのは、莫大な利潤は生めずとも、ゲーム音楽というジャンルをオーケストラという媒体で鑑賞する楽しさを多くの方に提案し、ゆっくりと、少しずつでもよいので認められていき、鑑賞人口が拡大していくにつれ、3年5年というスパンで、その対価として最低限活動に必要なお金になっていけばよいという事でした。

 それがビジネスとして、プロオケとして正しいのか間違っているのかについては、どちらの考え方も分かっていますので、議論するつもりはありません。あくまで私の考えがそうであったというだけの事です。

 さて、ここまで書いたところで、今後の事についてお伝えしようと思います。

 明日に続きます。

※日本BGMフィル関連でお越しくださった方は、タグ「JBP」で記事をまとめてありますので、どうぞ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA