採点競技ってさぁ


 浅田選手に感動しておきながらなんなんですが、どうも好きになれないのであります。採点競技。

 終わった後に文句言う人がおりますね。速やかにクレームの発生しづらいシステムを構築するべきなんじゃないかと思うわけですが、そんなことはおかまいなしで、競技して熱狂して終わって文句言って、というスパイラルが延々と繰り返されている気がしてならないわけです。なんとなく白けますね。冬季競技は採点競技の見本市みたいになってますね。

 スキージャンプでは、飛距離だけを競うのではなくて、「飛型点」なるジャッジの主観的な評価が加味されております。全員同時に同一条件化で飛ぶわけではなく、その時々の風の影響が結果を左右するという意味では、風の向きや強さによるポイントの加減であったり、飛び出しの速度を左右する、助走を開始するゲートの上下によるポイントの加減はあってしかるべきだと思います。システマチックですし。ただ、飛んでる途中の姿勢がどうのこうのって、どうなんですかねそれは。どんな格好だろうと、最も遠くまで飛んだ人間が最も賞賛されるというわけではないというのが、どういう歴史を経て決まっていったのか気になるところです。

 フィギュアスケートは言わずもがな、モーグルもそうですし、スノーボードハーフパイプもそう、多くの競技において、採点が結果を握っているわけですね。素人目ですが、モーグルの上村選手なんて、3位の選手より速かったうえ、上手に滑っていたように見えたのですが。生で見てて点が出た瞬間「えっ?」ってなりましたし。私のような素人には分からんのでしょうが。

 逆に夏季競技では、一番速く走れた者、一番高く跳べた者、一番遠くまで投げられた者が賞賛されるというごく単純な、筋肉最高! みたいなルールなわけです。9秒台だけど、走り方が美しくなかったから減点とかそんなことないでしょう。フォームなんてその人が最大のパワーを出せるものを採用すればいいわけで、結果が出れば問題にならないわけですよね。この違いはどこにあるんでしょうか。

 野球に採点が採りいれられたらと思うと発狂しそうになりますね。1-2で負けている9回裏、ツーアウトで2塁には石川内野手、バッターは確変の疑いが拭いきれない梶谷。完投目前で浮かれている筋肉澤村から見事ツーランホームランを放ち横浜軍、歓喜のサヨナラ勝ち、のはずだった。ところが、梶谷のバッティングフォームが芸術性に欠けるということでホームランが取り消され、シングルヒットに。そのまま後続が倒れゲームセット。こんな事があったら憤死待ったなしであります。

 裁く側も責任を持つべきではないのでしょうかと。相撲のジャッジは間違えたら死んで詫びるという覚悟で裁いているわけです。俗説ですが。野球だって氏名を公表して責任を持っているわけです。日本の審判は誤審を認めませんが。それに対して、人生をかけてやっている選手たちに対して、誰だか公表されない人物が主観で裁くのは、どうにも違和感が残ります。そういうことだから、特定の国の選手がどうとか、陰謀論めいたしょうもない話がなくならないのではなかろうかと。ぶっちゃけ、ホームタウンディシジョンはあると思いますけどね。それはそれで、まあ。

 演技を競う競技については、採点がどうしても必要なのはわかるのですが、後から批判ばかりが出てくるような制度は見直し、出来る限り主観を廃したシンプルなジャッジが出来るようになれば、競技している方も見ている方も気持ちがよいのではないかなあと思ってならないわけであります。どうにかならんのですかね。誰かエラい人教えてください。

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