プレッシャーを感じない人なんてほとんどいないんじゃないですかね

 浅田選手の心境を思いやると、無念だろうなあと。ただただ、それだけ。

 抽選で最終滑走になったのはツキがなかったなと思うし、運も実力のうちですから、そこは受け入れるしか仕方がないのですが、周りが優勝だのメダルだのと加熱しすぎて、不要なプレッシャーやいらないものを背負わせすぎなんじゃないかと。

 自らの求める最高の演技をして、その結果としてメダルがついてくるというのが表現者としてあるべき姿なんではないかと思うのですが、メダルを取るという結果が最優先にされ、その結果のために演技をしなければならないのは、果たして本人の望むところなんですかね。メディアが取り上げれば取り上げるほど、優先順位がおかしくなっているように思うわけです。

 報道陣に囲まれ、聞こえてくる言葉はやれメダルに期待してますだ、一番いい色のメダルだと、そんな調子では出せるはずの力も潰されてしまうのではないですかね。プレッシャーなど吹飛ばさなければ強い選手とは言えない、浅田選手はメンタルが弱い、そんなことを言う人もいるだろうとは思いますけど、それはそれでケースバイケースかなと。

 人間というのは千差万別で、同じ個体など一人としていないというのが大前提であるならば、人によって実力が最大限発揮できる環境というのは当然異なるわけです。競技に限らず、プレッシャー下で実力が発揮できる人もいれば、普段は何でもできるのに、プレッシャーの元に置かれた途端に実力の半分も発揮できなくなる人もいるもので、対象者に影響を与えられる立場にいる人たちは、対象者が最適な環境で物事に取り組めるよう努力した方がいいんではないかと思うわけです。オーケストラでも同じような場面はあるわけでして、この人は細かいことは言わずのびのびやってもらった方がよい、この人はプレッシャーかけても大丈夫とか色々あって、全員に同じことを求めたら上手くいかないのは必定です。

 浅田選手は演技以外の事は一切気にならないタイプではなく、全て背負い込むタイプの人だというのは、彼女のことなどテレビを通じてしか知らない私にも容易に伝わってきます。むしろ、何を言われても気にならない、どんな環境でもベストを尽くせるなどという人はほとんど存在しないと思います。あの松岡修造ですら「最後に滑りたいと思う人なんていませんよ!」と、ある報道番組で熱く暑く発言しておられました。最後に滑るという事実だけでもメンタルに影響が出るわけです。であれば周囲は彼女が心地よく演技に望める環境づくりに協力してあげられなかったのかなあと。

 友人が「真央ちゃんは若い頃(今も若いけど)は、ただただ純粋に演技だけを楽しめていた気がするなあ」と言っていたのですが、そういうことなのかなと。歳を重ね大人になるにつれて、演技のためにはいらない何かまで背負ってしまった。周囲はそれを背負わせてしまったのではないかと思うわけですね。

 一口に周囲と言っても数え切れないほどの人がいるし、報じる自由もあれば、言論の自由もあるし、色々な思惑もあるでしょうから、頭の悪そうな理想論であって全く現実的でないのはわかります。最適解というのは存在せず、書いても意味の無いエントリーだとは思いますが、単純に思ったことを書いてみただけということでひとつ。

 今日のフリーでは、いらないものは全部忘れて、最高の演技を見せてくれたらいいなあ。

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