外野が騒いだり騒がなかったり

 野球の話じゃないです。

 別に全く難しい話でもなんでもないんですけど、やるやると言ってやらなかった人と、やると言って実現する人、どちらがやったことになるのか、という話。どっちなんでしょうね。

 あるマニフェストを掲げたAという政治家がいました。その後でBという政治家が同じような理想を持ってマニフェストを掲げました。Aはマニフェスト達成が無理と判断して有耶無耶のまま立ち消え。まぁ政治家にはよくあることですね。達成するつもりのないマニフェストってなんなんだふざけてるのかと。色々諸事情はあるんでしょうけど。で、その後でBは、Aが無理と判断したマニフェストを達成しました。

 この場合、BよりAを評価する人っているんですかねと。一般的な感覚からすれば、Bが支持されるのが道理だと思うわけですが、世の中そう一筋縄ではいかないようで、Aの方がすごい! と思う人もいるわけです。

 世の中の誰しもが同じ意見なんてありえないのは十分わかってますから否定するつもりはないですが、相当に頭の中がおめでたい人か、何も考えてない人か、Aの熱烈な支持者であるか、Bに恨みでもあるか。そういった理由でもなければ、そうはならないんではないかなと思うわけです。得てしてそういう人は理知的な思考など、とうの昔に放棄していて、自己正当化の為に支離滅裂な論陣を張ったりするわけですが、その支持者も当然気づけない。気づいていても指摘しない。わかっている人は引きながら遠巻きに見ている、みたいな。遠巻きに見ているぶんには楽しいんでしょうけどね。勝手にどんどん燃料投下して盛大に燃え盛るわけですから。

 Bに対してああだこうだと難癖をつけて煽動する活動家と、それに流されて騒ぐ民衆、ないしわかったうえでのプロ市民がいるとなると、AとBが無関係でも両者間にいらぬ軋轢を生むだけですし、同じマニフェストを掲げているんだから、どっちでもマニフェストの達成を応援すればいいんじゃね? とか、非常に面倒なだけなんじゃないかなぁと思ったりするわけで。なんなんですかね、当人にとってはどうでもよくて、外野が勝手に繰り広げているくだらない縄張り争いみたいな感じ。

 謎すぎます。

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