音楽の必要性

 私はたまにふと、音楽でお金をもらう(特に指揮者なんて音出さないし)という事は果たしてどうなんだろうか、と思うことがあります。

 本来世間的には音楽など「不要なもの」なのではないかと。不要なもので人様からお金を頂くのは悪いことなのではないかと。

 もちろん心の底ではそうは思っていません。思っていないから、指揮者なんてものを続けているのだと思います。でもたまにそういう思考が頭の中を巡る時があるのです。

 たまに人に問いかけたりもしてみます。そのたびに

「いや違う。音楽は別の分野で努力している人を癒している」

「音楽が支えになっているから頑張れる」

 等々前向きなご意見をいただきます。なるほどなと思いますし、そういう考えを持っていなければ
一緒に音楽をやっている人に、そもそも音楽に対して失礼です。

 そう。わかってはいるけど、たびたび考えさせられてしまう問題。

「自分は何故音楽をやっているんだろう」

「音楽で生きていくってどういう事なんだろう」

それは、いつまで経っても答えが出ない難問なのです。

大阪の助成金の件で、プロオケの運営が困難になると言われています。助成金問題自体は特に言うことはありません。

 助成金をもらわなければやっていけない程度であればそれは世間から不要だと判断されているのだ。

 それも一理あります。

 芸術は一朝一夕に成るものではない。行政を上げて保護すべきだ。安易に絶やしてはいけない。

 それも一理あります。

 ベネズエラなんて、国を挙げてバックアップしたら世界的なスター指揮者が生まれたわけで、今やベネズエラの誇りですからね。

 橋下さんの合理主義もわかる。音楽家の論理もわかる。そんな感じです。色々な議論を重ね、戦わせて頂くのは大いに結構なことだと思うのです。

 ですが、

「音楽で稼ぐなんて贅沢だ」

「オーケストラなんて日本人には無理」

「下手くそだからいらない」

 といった単なる感情論めいた意見を仰っている方も多いようで(オーケストラに興味がない人たちの意見が多いのかもしれませんが)、オーケストラの在り方や音楽家の在り方について議論されるならいいのですが、音楽そのものや、音楽の道で努力している人たちを否定される意見を見てしまうとどうにも悲しくなってしまいます。

 私なんぞは、指揮を5年間続けてきてようやくプロオケの門をノックできた程度で、まだまだ全く有名ではないわけです。そんな無名の指揮者が何言ってるんだ。音楽家らしいことは有名になってから言え。と一蹴されてしまいそうですが、

「プロオーケストラなんて無くていい」

「解散して趣味でやってればいいじゃん」

 という意見に賛成することはできないです。その辺の話は長くなりそうですし、上手くまとめる自信がないので書きません。

 とにかく、そういった意見を見るにつけ、

 自分がやってること、やろうとしていることは一体なんなんだろう。やっぱりいらないことなんだろうか。実は世間の人たちから後ろ指を指されているんではなかろうか。

 としばらく考えてしまうのです。が、その意見に深く沈み込んでいくことはないです。とはいえやるしかない! とすぐ立ち直るわけです。

 だから気分的には問題ないのですが、そういう風に言われてしまうクラシック音楽の現状が悔しいです。世間でそう思われてしまう以上、そうならないように努力していかなければならないと思いますし、素晴らしい文化として多くの人から支持を得られるだけの魅力がクラシック音楽にはあると思っています。

 ただ、それを伝えられていない。
 伝える土壌がない。
 伝える努力をしていない。

 課題はたくさんあるでしょう。それらをクリアして、一人でも多くの人にクラシックの楽しさを伝えていければなぁ。と、いつもの私の活動の根本に舞い戻ってきましたね。

 だからまぁ、どんな状況になろうとも私は私がやれることを精一杯やる以外に道はないのです。

 そうか、いらない職業だと思われてるんだ。じゃあやめようかな。とは絶対に思いません。

「音楽でお金を稼ぐなんて贅沢だ」

 と言われたら、言いたいことはたくさんあれど、発言を撤回してもらうくらい頑張るしかないですね。

 そんなわけで、私、市原雄亮は、クラシックを知らない人、興味がない人にも楽しんで頂きたいという想いを活動の根底に据えて指揮活動を行っておりますので、公演の際には是非足をお運びください! きっと楽しませてみせます! 顧客満足度は高い指揮者! だと思う!

 と、いつものごとく何が言いたいのかよくわからなくなりましたので、宣伝っぽく終わりたいと思います。お疲れさまでした。

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